私の母は 何故か 小さい頃から 私に厳しかった
 
と言うか 冷たかった
 
年子の妹は 凄く可愛がられていた。
 
 
私が幼稚園の頃、家の前の道路で 車にひかれそうになった事がある。
私が 飛び出したのがいけないんだけどADHDのん子とスバルの楽しい毎日-ファイル1605.gif
 
 
確か 若いカップルが乗っていて、運転してた男の人に もの凄く怒鳴られた。
ブレーキ音と怒鳴り声で近所にいた人も 何人か出てきて、一緒に謝ってくれた
 
私は ただ ビックリして怖くて 凄く泣いた。
車が去った後 ワンワン泣きながら家に入ると、母が台所で 何事もなかったように まな板で何かを切っていた。
 
家のすぐ前の道路の出来事。道路に面した台所で 気づかないはずはない。
 
私は ただ 『お母さ~んADHDのん子とスバルの楽しい毎日-ファイル0124.gif』って 母に泣きついた。
母は そんな私を振り返る事もなく、
『あんたなんか、そのままひかれて死ねば良かったよ。恥曝し』
 
と言われた。
 
 
その日の事は今も鮮明に覚えていて、未だに時々 夢でうなされるADHDのん子とスバルの楽しい毎日-ファイル0418.gif
 
のん子がADHDと知り、自分もそうだと気付いた。
きっと 母にとって私は 育てにくい子だったのだろう。
 
父が婿養子で 母の両親と同居していて、物心ついた時から 両親は不仲だった。
誰からも 『お父さんにそっくりね~』と言われる私が  更にそれに拍車を かけていたのかもしれない。
 
だけど 私は どうにかして 母に好かれ認められたかった。
その為だけに いろんな事を頑張った。
 
だから きっと のん子の事も、私が母に認められたい、その一心だった
のん子が 認められる事が 自分が母に認められる事だと その時は本気で思っていたんだ。
 
 
今も母との関係は変わらない。
だけど もう あの頃とは違うよ。
 
 
一緒に生きようね
…のん子ADHDのん子とスバルの楽しい毎日-ファイル0125.gif