私の母は 何故か 小さい頃から 私に厳しかった
と言うか 冷たかった
年子の妹は 凄く可愛がられていた。
私が幼稚園の頃、
の前の道路で 車にひかれそうになった事がある。
の前の道路で 車にひかれそうになった事がある。私が 飛び出したのがいけないんだけど
確か 若いカップルが乗っていて、運転してた男の人に もの凄く怒鳴られた。
ブレーキ音と怒鳴り声で近所にいた人も 何人か出てきて、一緒に謝ってくれた
私は ただ ビックリして怖くて 凄く泣いた。
車が去った後 ワンワン泣きながら
に入ると、母が台所で 何事もなかったように まな板で何かを切っていた。
に入ると、母が台所で 何事もなかったように まな板で何かを切っていた。
のすぐ前の道路の出来事。道路に面した台所で 気づかないはずはない。私は ただ 『お母さ~ん
』って 母に泣きついた。
母は そんな私を振り返る事もなく、
『あんたなんか、そのままひかれて死ねば良かったよ。恥曝し』
と言われた。
その日の事は今も鮮明に覚えていて、未だに時々 夢でうなされる
のん子がADHDと知り、自分もそうだと気付いた。
きっと 母にとって私は 育てにくい子だったのだろう。
父が婿養子で 母の両親と同居していて、物心ついた時から 両親は不仲だった。
誰からも 『お父さんにそっくりね~』と言われる私が 更にそれに拍車を かけていたのかもしれない。
だけど 私は どうにかして 母に好かれ認められたかった。
その為だけに いろんな事を頑張った。
だから きっと のん子の事も、私が母に認められたい、その一心だった
のん子が 認められる事が 自分が母に認められる事だと その時は本気で思っていたんだ。
今も母との関係は変わらない。
だけど もう あの頃とは違うよ。
一緒に生きようね
…のん子