83歳の大物政治家がオリパラの会長を辞任した。
女性蔑視をしたから。
その辞任会見で
年寄り蔑視をするなというようなことを発言していた。
女性蔑視はするけど自分が年寄り蔑視をされるのは気に入らない。
勝手な言い分であるが
私も似たようなことがある。
自分で「もう年だから」とか「おばさんだから」というくせに
他人に「おばさん」と呼ばれたり年寄り扱いされるとイラっとなる。
自分をおばさんと認めているようで認めていないのだろう。
街を歩いていて長髪の男性を見かけると
「男のくせに」と思ったりする。
しかし私はゴリゴリのベリーショートである。
相手にしてみたら「女のくせに」と思われているかもしれない。
個性が大事といいながら、誰も個人を見ていない。認めていない。
すぐカテゴライズしようとする。
男
女
高齢者
若者
学生
主婦
障害者
健常者
シングルマザー
独身
などなど
これらのワードのあとに「のくせに」や「だから」をつけがち。
なぜそうなるのかを考えてみる。
きっとそうやってカテゴライズすると楽だからだ。
その人がどんな人なのかどんな考えを持っているのか
どんな価値観を持っているのかはすぐにはわからない。
だから「この人は女だからこういう発言をするのだ」と思えば
それ以上悩むこともない。
「女のくせに意見を言うのは生意気だ」というのも同じ。
相手個人の個性を無視して女というカテゴリーで決めつけて結論を出している。
多様性。
これを求めるならば、幼い頃から多様性に触れさせることが大事なのではないか。
みんなちがってみんないい。
それならば学校の制服は止めるべきだ。
男でも女でも髪の長さは自由。
スカート、ズボンなんでも着たい服を着る
青、ピンクだけじゃない好きな色を選べる
男子の列や女子の列もいらない
障害があろうとなかろうとごちゃませ
いっそのこと、学年もなくしてその子の好きなレベルで学べる場にする
決めつけず、選択肢を増やし自分を受け入れ、相手を尊重できるようにしていけば
その子達が大きくなっても
「男なのにピンクはおかしい」なんて誰も思わなくなるのではないか。
「あの子変だよね」という発想もなくなるのではないか。
相手がどんな価値観を持っていても
「あ、そうなんだ」といい意味でスルーできる社会。
まったくの勝手な理想郷だけど
そんな世の中になれば息子は生きやすくなるだろうなぁ
私自身もそんな子供時代を過ごしていたら今の自分とはまったく違った自分に
なっていたかもしれない。
ね、森さん?