石巻。 | AMO オフィシャルブログ 「AMOSCREAM」Powered by Ameba

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久しぶりのBLOGです。

9日からこの3日間 連休をいただいたので、
8日の夜に島根から帰ってきた足で、母の実家である石巻の祖父祖母の家に来てました。


母の実家は石巻市ではあるものの、津波の被害からはギリギリ免れた地域だったので、
家のかたちも周辺の町もそのまま残っていて、祖父祖母ともに元気で生きていてくれました。


9日の朝に到着し、1日目は家の周辺にあるショッピングセンターや映画館にリサと妹と3人て遊びに行ったり、全員で食事に出掛けたりとゆっくり過ごしました。



2日目は母たちと一緒に、ボランティア活動に参加させていただいてきました。

わたしたちが参加したボランティアは、受付所に集合し、地区と内容を振り分けられるシステムで、今回振り分けられたのは大街道という津波の被害に見舞われた地域。
同じチームの方々と一緒に、浸水した家屋の瓦礫の撤去作業と、床下のヘドロを掻き出す作業をしてきました。

そこは本来住宅が密集していた地域だったそうなんだけど、津波によって町のかたちをかなり変えられていた。
ほとんどの木造住宅は跡形もなく流されていて、鉄筋で造られていた住宅がぽつりぽつりと残されていた。

その鉄筋で出来た家も、壁がなかったり、屋根が潰れていたり、様々な震災の傷跡が刻まれていた。

その家や土地を手放して行く人もいれば、もう一度その場所で住居を立て直そうとする人もいて、
今回わたしたちが行かせていただいたのは、もう一度そこに住もうとしている方のお宅でした。

骨組みは保たれているものの、家の中は勿論荒れ果てていて、床下からは悪臭のヘドロが溢れ、庭や家の周りは瓦礫や割れガラスが混じった泥が積み重なり、とても人がすぐには住めるような状況ではなかったのだけど、
安全に再築作業が行える段階まで、総勢大人16名のチームで片付けることができました。

その日の活動が終わった最後に家の持ち主の方が挨拶に来てくださり、
片付いた家の状態を安心した笑顔で見ている姿を見て、わたしまで嬉しくなったのと同時に、まだまだ問題は終わらないんだという厳しい現実を感じた。

再築をするにも近所に住む人も少なかったり、商店や病院なども遠かったり。
長い目でみて、人と人とのコミュニケーションが簡単には取れない環境の中で暮らしていくのは、抱える問題がどれほどあることなのか。
そして一軒の家をこの段階まで片付けるまでに、これだけの人の力が必要だということ。

だけどこうやって、ひとりひとりの力で、少しずつではあるけれど確実に復興は進んでいく。
諦めず協力し合って頑張り続ければ必ず街は取り戻せる。

信じて頑張らなきゃ。
健康な体を持てて今生きることができている自分の使命を、強く感じました。



3日目の今日は避難所になっている女川の運動施設と小学校を訪問してきました。

仮設住宅に移り住んだ方が増えたので、避難所で暮らしている方は一時より少なくなったものの、
震災後5か月経った今でもそこで生活をされている方が未だたくさん居らっしゃるのが現状で、
支援活動はこれからも積極的に行っていかなければと実感した。

津波による壊滅的な被害を受けた女川の街は、本当に言葉が出ないほどの変わり様だった。
それでも前を向いて立ち上がろうとしている地元の方々の姿勢に、逆にわたしが励まされてしまった。


帰りに石巻駅の周辺も車でまわったのですが、震災時にテレビでみた破滅的な風景とは一変、ちゃんと街の形を取り戻しつつあって、
お店はほとんど閉まっていたり壊れたままだったりしたけれど、「復興準備中」と書かれた紙が貼ってあるお店がたくさんあるのを見て、本当に胸があつくなった。

みんな前を向いているし歩き続け助け合って生きている。


父と母が石巻出身ということもあり、
子供の頃から毎年夏休みやお正月には宮城に遊びに来て育ったので、
わたし自身ここには思い出の場所や大好きな景色、いつも行ってた食堂、通い慣れたお店がたくさんあったから、
変わってしまった景色を前に正直涙が出たけれど、

こうやって頑張ってらっしゃる地元の方々を見たら泣いてなんかいられないと思った。



震災後、初めて訪れた宮城。
初めて見れた祖父祖母の顔。
来れてよかった。


写真は、石巻でみた空。
こんな夕焼けの似合う本当に綺麗で良いところだったんです。


今はリサと妹と一緒に、石巻から東京に帰るバスの中。
母はもう少し残ってボランティア活動を続けるそう。

今回は3日間しかいられなかったけれど、また長い休みが取れた時に必ず来ようと思います。

やるべきことは絶対にこれからも形を変えて増えていくし、人の力が有り余ることなんてないので、やれることがあるのならばやっていかなくては。


未だ揺れの続く東北。
皆さんの無事と、一刻も早い復興を願うばかりです。

じいちゃんもばあちゃんもどうか元気でいてね。


また会いに行きます。



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