退院前日のこと。

 

 

早朝、朝日が射しこむエレベーター前で体操をしていた。

そこに、歩行器でゆっくりと歩くIさんがきた。

 

Iさんは昨日歩行器で歩けるようになったばかりだった。

長らくベッドで臥せていたので、日光浴に来たのだという。

いつもベッド越しで顔が見えなかったので、じっくり話すのはこれが初めてだった。

 

話を聞くと、(細かなことは伏せますが)Iさんは大動脈解離、それもかなりの規模で、治療もかなり大がかりだったらしい。命を守るために身体を部分的に犠牲にする、そんな手術だった。その後遺症で半身の血圧が異様に低くなっていた。

 

それを聞いて、

「良く生きておられる……」というのが、私の正直な感想だった。

もちろん言わなかったけれど。

 

 

そんなIさんが、私の病気を「申し訳ないけれど、ポピュラーな病気ではありますよね」と指摘した。

「手術したばかりだぞ、なんてことを言うんだ(笑)」とも思ったけれど、Iさんの病状を聞いたら、むしろその指摘の正しさを純粋に受け入れられた。ハッとさせられた。

 

そうか、これは珍しい病気ではないんだ。

 
とくに僧帽弁逸脱自体は決して珍しくない。ただおそらく、手術が必要なほど逆流の酷い人が少ないだけで。
 
 
病人同士というのは不思議な親しみがあるものだと思った。
 
他人でありながら、病気について、生きることや死ぬこと、人生についてけっこう踏み込んだ話をした。
今まで第一線で頑張って来られた、いわゆるエリートの方。
それが大動脈解離によってにわかに生死の淵に立たされた。
どんなに心を痛めたことだったろうかと。
 
その感想を正直に話したら、「でも生きてたからよかった」とおっしゃった。
 
お互いに、他人にしてはあまりにも踏み込んだ話をした。
感極まって、なんだかぎこちない会話になったのを覚えている。
 
 
退院当日、
 
(Iさん)「どうぞお元気で、ご活躍ください」
(私)「どうか、お元気で……」
 
と、がっちり握手をして別れた。
本当に「どうか、どうか」と思った。
 
 
……じつは、退院直前までほとんど話すことは無かった。
 
彼と同じ部屋になったのは、私が一般病棟のリカバリールームから大部屋へ移ったとき。
 
その日は病棟全体での大移動があって、
たまたまあちらも移動してきて私と同じ部屋になった。
 
本来特別室だったと思われる部屋を、無理やり二人用にしていた。
一人分ならとても広いけれど、二人だとちょっと狭い。
元特別室だった名残りで、私の方にだけ流し台がついていた。
 
 
そうして隣になった初日、彼は一晩中息苦しそうにしていて、ハァ、ハァ、ハァ、と声を挙げていた。
翌朝、看護師さんが「眠れましたか」と聞いてきたとき、隣からカーテン越しに「すみませんね」と言ってきた。
 
「いえいえ、気にしないでください」
 
本人が一番つらいだろうなと思った。
 
 
Iさんのご家族が面会にいらしたとき、私の方に置いてあったイスを借りに来た。
そのときベッドに臥せていた彼がカーテン越しに、「ありがとうございます」と言ってくれた。
 
面会の方も律儀な方たちで、私が踊り場で顔を洗っていたら、「イスをお借りしてもいいですか」と話しかけに来てくれたこともあった。置き場がそこしかないから置いてあるだけで、勝手に持って行ってもいいはずなのに。
 
「どうぞどうぞ、私のものではないですから、ご自由にお持ちください」と、ヘンテコな受け答えをしたのがいまだにちょっと恥ずかしい。
 
私の退院が急に(本当に急だった)決まったときも、「おめでとうございます」と言ってくれた。
 
 
術後一か月と一週間、退院から一か月近くが経つ。
お元気にされているだろうか……と、今でもときおり思い出す。