まえがき

今回はあんまり重くもないですし、どっちかと言うと自分語りです。

それと試験的に、普段よりも多く執筆にAIを使ってみました、一部文章はAIが出力したものを流用してたりもしますが、全体の大部分は私が書いてるので許して。

 

第一章 幼稚園児、化石の中から第一歩を。

私が初めてゲーム機を自由に使えるようになったのは、きっと幼稚園の頃、具体的には4歳ぐらいだったはずだ。

そのゲーム機は今でも家にある、PlayStation 2(以後PS2)だった、私より若い人たちには信じられないかもしれないが、周辺機器がなければネットにすら繋げない、2014年当時でも古びたゲーム機で、その継機のPlayStation 3(以後PS3)どころか、そのまた後継機のPlayStation 4(以後PS4)すらギリギリ発売されていた筈だ。

 

余談だが、ゲームスキルがなさ過ぎてPS2の三國無双4の、虎牢関の戦いで呂布を倒せなかったので、東側の迂回路ばっかり使っていた記憶がある。あの門の上から飛び降りてくる呂布はみんなのトラウマと言っていいのではないだろうか。

 

だが、ゲーム機しかなかったわけではない、私の家にはNECのノートPCと、ブロードバンドインターネット接続が可能な環境があった。

そしてこのノートPCも例に漏れず当時ですら古びていて、windows 8.1やintelの第5世代Coreシリーズが存在する時代に、なんとCore 2 DuoWindows Vistaである、当然ノートPCなのでスペックも終わっているのだが、当時の私には家に沢山あったDVDの再生程度にしか使っていなかったので問題はなかった。

今考えれば、この頃見ていたDVDが私が映画好きになった理由の一つかもしれない

(そしてこのPCを勝手に分解して怒られるのはまた別のお話)

 

第二章 小学生、新たな時代に追いつくために。

化石の中でそれなりに楽しみつつ、幼稚園を卒業し、小学生となった私だが、周りは新たな時代を知っていた。そう、ニンテンドー3DS(以後3DS)である。

実のところ、2011年から3DSは発売されているため、言うほど新たな時代でもないのかもしれないが、当時ですら10年以上前の型落ちゲーム機しか知らなかった私にとっては新たな時代だった。そしてその新たな時代に追いつくために、なんとかしてNewニンテンドー3DS LLを買ってもらった。

これを手に入れたら、今まで以上に友達の輪に入れるようになった記憶がある。

 

発売開始は2014年だったが、多分買ってもらったのは2016年、その1年後にSwitchが出たことを知っている身からすると勿体ない時期に買ったなと思うが、お金を払ったのは私じゃないし、そもそも発売当時の転売地獄の時期にSwitchを変えるわけもなく、なんだかんだで2019年の前半ぐらいまでは私も友達も3DSを使っていた筈だ。

当時、何故か幼稚園の頃にはあったネット回線が無くなっており、親が新たなネット回線を契約してオンラインゲームをしたりニンテンドーeショップでゲームを買ったりすることが出来るようになったのは、2018年頃だったはず。実際には、オンラインゲームをすることなんて殆無くて、公園とかで友達と一緒にゲームをしていたのだが。

 

第三章 小学生、少し深いインターネットへ潜る

同世代の人達は共感してくれると思うのだが、当時の小学生の間ではyoutubeではなくニコニコ動画が人気だった

私は幼稚園の頃から、偶にPCでニコニコにたどり着くことはあったのだが、4歳児があんなコンテンツ(褒め言葉)を見ても意味がわかるわけもなくレッツゴー陰陽師を見て大笑いする程度だった。

3DSにもyoutubeアプリはあったのだが、何故かそっちはあんまり人気がなかったように感じる、当時は今ほどボイロ系は強くなかったし、今人気のずんだもんは存在さえしなかったと思うが、伝統のゆっくり系や、例のアレは存在していたはずだ。

うん、私達の世代全体が例のアレによって汚染されているとは思いたくないのだが、割とそんな節はあると思う。生まれたときからブロードバンドが普及している世代だとおそらく最初なので、その弊害でもあるのかもしれない。

(例のアレが何かわからないって人はそのままでいて)

 

第四章 インターネットの海に、一人で。

小学4年生の頃、私はスマホと自分のPCを手に入れた、これが本物のインターネットへ飛び込むきっかけになったのだと思う。

今までネットに繋げるだけでちょっと不安になるWindows VistaのPCや、3DSのブラウザ程度しかインターネットへ触れる機会がなかったのだが、このとき手に入れたスマホと新しいPCによって、新たなる時代が幕を開けた

スマホは色んな意味で革命だった、アカウント登録などにはメールアドレスが必要なことが殆どだが、そもそもメールアドレスを作るのには大抵の場合電話番号が必要だ、だから今までは親に電話番号やメールアドレスを使わせてもらうように頼む必要があったのだが、これ以降はそんな事せずとも自分でいろんなサイトのアカウントを持てるようになった。

当然だが、PCでは最初はわからないことだらけだった。スマホと違って扱うハードルが高かったのだ。

当時はGIGAスクール構想が今ほど普及していなかった。少なくとも私が通っていた学校では、まだ生徒個人にPCが配布される段階では無くPC教室に一クラス分程度のPCが揃っている程度だった。

まぁそれでも、元からかなり興味を持ってる事で、私にしては珍しく学校の教師が暇な時に個別でPCの扱い方について自分から教えてもらいに行ったりしていた。

当然授業で色々と作ったりしてたのと、幼稚園時代からの経験のお陰でそれなりには理解できるようになったはずだ、それは家にあった大量のPCやインターネット関係の本を生まれてこの方ずっと読み漁っていたことも理由の一つだったのかもしれない。

 

第五章 深く深く、溺れていく。

この頃私は、小学4年生だった。このブログで何度も言及しているが、この頃に親が離婚して、一緒にニコニコを見て笑ったり、3DSで公開もしないのにゲーム実況者の真似事のようなことをして遊んだり、家で慣れないPCを使って遊んだりした友達とは離れることになってしまった

それだけならまだマシだったのかもしれない、転校先でいじめられた結果、ネットの世界に溺れていく事となったのだ。

以前の私にとっては、ネットはあくまでも、依存先の一つでしかなかった。

自立とは依存先を増やすこと

この言葉を私は信じている。その依存先の一つとして、ネットがあったし、友達があった。

でももう友達とは離れてしまった、このとき友達に自分の連絡先を渡しておかなかったことは今でも後悔しているが、正直もう遅いのだろう。

ただでさえ色々と不安定になる時期なのに、依存先を失ってしまった私は、自立に必要な数の依存先を探し出せなかったのだろう。

そしてただ一つ残った依存先に、今まで依存し続けることになったのだった。

 

第六章 溺れた先で、見つけたもの。

一人で深いインターネットへ溺れていく弊害は大きかったが、いいことが全く無かったわけではない。

このブログを始めたのも、一人でインターネットに溺れていったのがきっかけだし、Twitterなどで関わってくれる人が出来たおかげで、完全に一人ってわけでもないのかもしれない。当然その人達を私と同じように、インターネットへ溺れさせようとする気はないが、溺れた先でも関わってくれる人が居るなら、完全に一人よりもまだ安心はできるものだ。

 

第七章 溺れた先から、抜け出していく。

いつまでも溺れてはいられない、それは私だってわかっている。

ただ溺れた先から完全に出る必要もない息ができる程度の場所まで上がればいい

何もなく息ができる場所まで上がるのはそう簡単な事ではないだろう、だが浮き輪があればどうだろう?

どちらにしても楽なことではないが、何も無いよりも確実にマシにはなるだろう。

そして今、私は高校進学という、浮き輪を手に入れられる機会に直面している。

だったら、それを掴んで、息の出来る場所まで上がりたいものだ。