ナルシストを嫌うナルシスト
「私はナルシストではありません」
私はこのセリフを言いたい、けれどこのセリフを言うことすらも、ナルシスト的であると感じています。
世間一般的に「ナルシスト」と言われるタイプの人間は私も嫌いです。
自分に自信があるのは結構ですが、それが過剰になって、他人にまで自らの自認する、素晴らしさや優越性を顕示してくる、私はそういう人間が苦手です。
ですが私も、本心ではそういう人間と同じではないかと思っています。
ナルシストは嫌われる
ナルシストは一般的に嫌われる存在でしょう、私だって上記の通り嫌いです、極力関わりたくありません。
私もナルシストと関わったことがあります、合うたびに自慢にもなっていないけど、本人は自慢だと思っているようなくだらない話をしてくる面倒くさい人でした。
そして当然その人が嫌いで、格好悪い、こうはなりたくないと思っていました。
多分一般的にナルシストが嫌われるのも、こういった理由なのではないでしょうか?
私はそうです、ナルシストは自己の優越性を求めてもいないのに顕示してくる、そして多くの場合、それを否定したり無視したりすれば怒る、だから迷惑で嫌い。
嫌われたくないから、嫌われないように
だから私は嫌われないように、現実でもネットでも自己の優位性を顕示せず、誰かから優位性があると言われた、評価された際はそれを否定するような言動を多くしています。
でも本来、否定する必要すら無い方法があるんです。
それは優位性があると言われるような、評価されるような発言をしないこと、それだけなんです。
これを書いているときも、嫌われたくないなら本来こうするべきだということはわかっています。
そして、自分の記事が評価された際の対応がある程度決まっているということ自体、この記事がある程度、評価される、褒められると、深層心理では思っているということだと思います。
そのことさえも否定したいけれど、そんな事をしていたら本心なんて絶対に書けないと思います。
今までだって何度も記事を書いて、私物知りで凄いでしょアピールしているみたいで不快になって没にしています。
ここでもまた自分の優越性を顕示するような言葉遣いをしています、「深層心理」という比較的難しいような言葉を使わずに、「本心」という言葉を使えばいいんです。
でもそれをしなかった、普段では「本心」という言葉に書き換えますが、今回は特別に、私が自己の優位性を顕示している一つの例としてこのまま残しておきます。
この記事を書き、公開することさえも
否定したいけど否定できない、実際はナルシストな自分の一側面を認識可能なほど客観視が出来るという事を告白することも、それが可能なほど自分に対して中立的考え出来るという一つの優越性を顕示しているようでナルシスト的に感じて嫌です。
ですがこの記事を書く際に不快感に耐えて書ききったのに没にするのも嫌
いや不快感が理由じゃない、自分のナルシスト的側面を認識していることを認識して、認める事ができるほどの客観性と中立性がある事を自分で全て認めて、それを公開せず削除する。
この行為自体、明らかにナルシストの行動で嫌なので公開しておきます。