こんにちはニコニコ


先週は、
テレビで膠原病のことが取り上げられてると
知り、
見たいなぁ…と思いながらも
なんかバタバタしてて録画も忘れてて…


そしたら父が
「そういや、膠原病についての番組が4日間やってたから、お父さんの部屋のテレビで録画してるで!
まぁあぴは、知ってることばっかりやろけどな」と!!


おー!ありがとう!
みたかったんよウインク


15分番組が4回だったので、
リウマチ、sle、シェーグレンと一気にみて…

私の指…おそらくリウマチ
目の乾燥もひどくて…シェーグレンかもと、
ずっと前に主治医に言われた事あるタラー


目にはプラグといって涙腺にフタをするのもつけてるアセアセ



基本、膠原病はどれも
原因不明やけど、考えられる初病の要因…


紫外線

私18歳ぐらいから、
海に行きまくってた!

短大生になり
夏は、海水浴•サーフィン•ウェイクボード
海に入れる時期は海に行きまくりルンルン
学生の頃は、夏休みが長いので
平日も色んな人にサーフィンに連れて行ってもらったり、クルーザーやジェットに乗せてもらったり。
週末は友達や彼氏と海水浴に行ったり。

春秋は、バス釣りやバーベキュー

冬は、毎週スノボブルーハーツ


働くようになっても、
金曜夜からは海やスノボばっかり。


日焼けをほぼ気にしてなくて
日焼け止めをぬらないことも。。
ぬったとしても、最初にテキトーにぬって
その後1日塗り直すこともはなくもやもや

それでもあまり肌が黒くなる事がなかったので、
気にしてなかったのかな!?




さらに平日はよく飲みに行ってた。
かなりのヘビースモーカーで
1日平均3箱から4箱吸ってたもやもや
一晩飲んでたらもっと吸ってたもやもやもやもやもやもや


初病後も吸ってたけど
何度目かの再燃の時に禁煙したニコニコ


おそらく
紫外線と喫煙は人並み以上やったし
プラスなんか別の要因も
もちろんあるんやろけど…


まぁ遊びまくって
毎日めちゃめちゃ楽しかったので、
後悔はないかな。

初病後は、全部できなくなったけど笑い泣き
こんにちはニコニコ


最愛の母のこと


2017年12月13日

緩和病院から自宅へ電話が…

父ともこと一緒に病院へ


21時頃かな、母のところへついたら

酸素マスクをした母の姿が…
(緩和病棟なので、酸素マスクのみで他の心電図?とかは、最後まで一切なしでした)
初めて見る酸素マスクの姿にビックリして
ボーゼンとしてしまいましたが、
母は、わりとしっかりした口調で
「来てくれてありがとうおねがい
1時間ぐらい前から急にしんどくなって…
なんやろなぁ…
ほんまそれまでは元気やってんけど」
と。


それを聞いて私も少し落ち着いてきて、
母の手をにぎりしめながら会話してました。


妹の旦那さんが帰宅途中だったらしく、
1人であわてて来てくれて。
母とも会話することができました。
妹は子供を義母さんへあずけて遅れて到着。
妹が到着したら、
「また明日来ます」と旦那さんは帰宅することに。


病室の中は
母がもしもの時はこのメンバーでと…望んでた
父と私と妹ともこ


私と妹がベットの両側から手をにぎってました。
もこは、ベットの上にいて父は見守ってる感じで…。

喉がかわいたら、このスプレーをお口にシュッとしてあげてね!と看護師さんからお茶とオレンジジュースの入ったスプレーを2つもらってました。

やはり、喉は乾くようで…
通常この状態だと飲むことは難しいのかな?

でも、スプレーしてあげれて、
その時の「美味しい」と言ってくれた笑顔は忘れられないです。
看護師さんの気遣いに感謝です。


そして、会話もしながら夜中になり…
深夜1時とか2時頃やったのかな…
母が
「トイレに行きたい。歩いていく」と…


実は看護師さんから
私達家族が病院へ到着した時に
「すみません、先程オムツをつけさせてもらいました」と小声で言われてました。
とうとうあんなに嫌がってたオムツをつけることになったんやなぁ…とぼーっと思ってたかな。


でも歩いて行くという母。
ベットに座るとこまでは出来て
父の両肩を持って立ち上がろうとするのですが…
立ち上がる事ができず…
何度も頑張るのですが…
父と抱き合うカタチで数分がすぎ

結果おトイレには行けず…
でも最後までオムツがよごれることもなく。。


なんか、後から思うとですが、
私と妹が両手をほぼ占領していて
(時々は父と交代してましたが、
私たちがずっと握ってたかったので…)
この時、父と母が抱きあう事ができて良かった。

そして、おトイレの介助は嫌という、
母の信念は貫き通せたのかなと。


夜中は、
「はよ寝ーや。もう夜中やろ?」
みたいな事を何度も言ってくれてたなぁ…


そして、だんだんと外が明るくなってきて…
6時とか7時頃やったのかな…
母が
「みんな朝ごはん食べなアカンやん。
コンビニあるからパンとかおにぎり買っといで。」と。
食欲もなくその場を離れるのも嫌で
「うん」って返事しながらも誰も動かなかったら、少ししたらまた言ってくれたりで
何度か言ってくれてて、
「はよ、ご飯買っといで。
あぴちゃんはお薬も飲まなアカンやん」

って言ってくれて、それを聞いて父が買いに行ってくれました。


私…どんな時でもステロイド飲まないとなんよな


少し食べてお薬飲んで
「ご飯食べてお薬も飲んだよ!」
母も「良かった」って言ってくれてて


その後30分ぐらいした頃かな…


変わらず私と妹は母の手を握って話してたら…


急に…ほんと突然に


返事がない…


寝た?ん??


そして…


部屋中が、
泣き声と「ありがとう」でいっぱいに



12月14日 最愛の母は旅立ちました。


とってもおだやかなお顔で。。。




本当に母には感謝してもしきれない。


母が再発転移後の治療をすると、
選択してくれた事によって、
その2年ほどの間に私も父も妹も
言い残したこと、やり残したことが
全くない状態にしてもらえました。


母は、どんどんと体の痛みが激しくなってたはずですが、そんな時でも、私や父や妹の事を心配してくれて、いつも笑顔で。


感謝の気持ちも
生前にいっぱい伝えてましたが…
感謝の言葉のみが伝えても伝えても
伝えきれないという状態で家族みんなが
「ありがとう」であふれてた感じです。



再発転移後の(特に最初の1年)は
私の精神面は、人生でダントツに辛くて
(おそらくこの時以上の辛いことはもう起きないような気がする)
毎晩のように寝る時は泣いてましたが…



今までものすごい愛を母からもらえたから、
だから…こんなに辛いんよね…
愛情をたくさんもらえてた証なのかな…
ある意味幸せなことなのかなと…
自分に言い聞かせてた…。


そして、最大の親孝行…
母より長生きする。は、達成できた。
(母が90歳まで生きたら、難病の私の方が先の可能性も!?…と思ってたので)


母は、この時66歳。
今もし元気なら69歳かぁ。。。まだ若いよね。
もっともっと一緒にいたかったけどね!



ありがとう

こんにちはニコニコ


最愛の母のこと。


2017年12月7日(木)緩和病院へ。
詳しい日にち…どこにも記録はしてないけど…
いま思い出しながら、そっか…7日やったなぁと。




緩和病棟は、
もこ(愛犬)もOK!
家族の泊まりもOK。
これはダメという禁止事項はなかったような…
母の望む事は、なんでもしてあげてねと。


毎日イベント!?があるようで、
アロママッサージや弾き語りやら…
希望すればしてもらえるようでした。


アロマのマッサージ気持ち良かったー!
マッサージしてくれるお姉さんの話も楽しかった!
って嬉しそうに言ってたなぁ。


そういえば、お母さんは
いつでもずっと笑顔やったなぁ。
たぶん痛みもあったはずやのに。。。



私は勤務曜日が月、水、木。
仲良し事務さんは、火、木、金。
(両親には、月、水は休みにくいけど、
事務がかぶってる木曜は休めるとよく言ってたなぁ)


母は木曜から入院したので、
土日は、もこを連れて父と会いに行って
まるで自宅で過ごすように、
しゃべってテレビみてお菓子食べたりと
楽しく過ごせました!



週明け

12月11日月曜は妹が会いに行き…
妹は、子供が小さくてなかなか会いに来れなかったのが、11月生まれの子は、12月からお試しで幼稚園へ通えるので、12月からは妹も午前中は頻繁に会いに来れるようになってました。

12月12日火曜は私が会いに行き…
生協のカタログを持って行って
2人で3時間以上かな…
注文書を書いたりしてました!

お正月は一時帰宅をする予定で、
妹家族も来るので、
お正月のお節に使えそうなものをたくさん注文しました。


この時、注文書を書くのに
机の高さを調節したくて、それが少し固くて、
私がやろうとしてたら…母が
「お母さんがやったげる」
とやってくれました。



2017年の年末…翌年は戌年。
もこが、どうどうと年賀状のメインになれる!
と、もこのあらゆる写真のパターンの年賀状を作って、母に選んでもらったりしてました。



12月13日水曜
私は仕事なので、父が会いに行ってました。


そういえば…母は病気してから父に頻繁に
「お父さんと一緒になれて良かった」
とホントよく言ってたようです。

父が
「お母さんに会いに行ったら
こんなことばっかり言うねん…
…帰り道でまた泣いてもうた」
と面会から帰ってきたらよく言ってたなぁ。



で、水曜…私が仕事から帰って
夜ご飯食べながら、
父に今日の母の様子を聞いてました。

「お母さん元気そうやった?」

「まぁまぁ元気そうやったよ。お父さん帰る時も歩いてエレベーターのとこまで見送ってくれた」

「今週末は何時頃から会いにいく?」
とか話しながらご飯を食べて
片付け終わったころ…




家の電話がなりました。