こんにちは

母のこと
2014年母が胃がんになり、
再発しないようにと治療しながらも
楽しく過ごしてきて
ちょうど2年ほど過ぎた頃かな
2016年3月ころ
泌尿器管が詰まってる!?と異常がみつかり
母の主治医は
「胃がんとは関係なさそうやから
専門の泌尿器科の先生に診てもらうよう手配するね」
と、同病院の泌尿器科へ。
そこでも、何かよく分からず!?
ガンとは関係ないと主治医も言ってたので、
あまり深く考えてなかったのですが
泌尿器科の先生が
これでもかと精密検査をしてくれた結果
2016年5月ころ
胃がんの転移と判明
手術はできない
抗がん剤はあるけれど
ガンが消えることはない
そして、髪の毛が抜けると
母は、その場で
「髪の毛が抜けるならしたくない」と。
その後、やはり
「抗がん剤をする」となり、結果することに。
母が抗がん剤をすると決めたのは…
おそらく、私や妹や父のため。
特に私のためだったのかな。。。
私が母の言葉や態度で感じとったのは…
私が寂しくならないように1日でも長く
私のそばにいてあげるために、
つらい抗がん剤治療を
してくれたんだと思います。
私は独身で彼氏や友達はいても
膠原病になってからは、
遊ぶ約束をしても
明日の体調さえわからず
当日キャンセルしたり
数日前から体調整えようと頑張ったり…
しんどくなって面倒にもなって
次第に友達と約束するのも減っていき、
気がつけば、
母と出かけることが多くなってました。
おそらく家族がいなければ…
私が健康で結婚でもしてたら…
再発転移後の抗がん剤は、
もしかしたら、してなかったのかな…と。
再発転移後の抗がん剤は、
やはり辛そうな事が多かったので。
おそらくガンが進行してたからだと思いますが。
それでも転移後1年弱
(2017年5月か6月ぐらい)は、
ウィッグを購入して、
結構たくさん
お花見したり買い物したりランチに出かけたりと
楽しく過ごせてました!
その後、2017年6月頃より
入退院を繰り返すようになり…
今までは、入院って言っても3日とかだったのが、2週間とか1ヶ月とか…退院して2日でまた入院と、この時期からはほぼ入院してることに。
ここで、
父と本当の2人暮らしを経験することに…
最初は本当にしんどかった。。
父もしんどかったと思うけど。。
私は仕事から帰ってきたら、
座ることなくご飯の準備して
食べたと思ったら片付けて…
はじめて父と少し喧嘩になったり。。
母はガンになり、
しんどい日もあったと思うけれど、
それでも私の体調をものすごく心配して
1番に優先してくれてたので。
私は家事をするようにはなってたけど、
それでもやっぱり助けられてたんよね。
完全に父と2人で家のことをするとなると、
本当にしんどかった。
でも、母に愚痴を聞いてもらいアドバイスもらえて乗り越えていった感じです。
長期の入院…
母はだんだんとお腹も詰まったり!?
する事が増えてきて…(ガンが大きくなって)
入院して喉から管をいれたり、
食べる事も難しかったり。
それでも、
会えば笑顔でたくさん会話できるし、
歩いてトイレやシャワーも自分で出来るし、
入院してる同室の人とも仲良くなって
たくさん話してたり、メール交換してたり

抗がん剤も、先生が3種類と言ってて
3回終わったらどうなるんやろ…
と、とても不安でしたが、
組み合わせを変えて1年以上続いてました。
母は、
「出来る限りの治療は頑張るね!
ただトイレが自分で行けなくなるなら、もう…」
とよく言ってた。
私は
「女同士やし、おトイレのお世話も私がするよ!」って言ってたけど…
食べれなくなっても痛くても大丈夫やけど、
オムツになったりトイレの介助…
それだけは絶対嫌って言ってました。
そして…
2017年11月半ば頃に
入院していた母は、夜におトイレに行こうとして
持ってたハンドタオルを落としたらしく、
それを拾おうとしたら…
立ち上がる事ができなかったと…
もう近いうちに自分で歩いてトイレへ行くことが出来なくなると感じた母は主治医を呼んで
「抗がん剤治療をやめたい」と。
そして、主治医から私の自宅へ電話があり
「話があるので病院へ来てください。」と。
ご本人さんのご希望です。
抗がん剤治療は終了します。
再発転移後に、こんなに抗がん剤治療を続けられる人はとても珍しいです。
と。。。
他にも泣きながら
たくさん話しましたが…
最後に父が一言
「はっきり言って下さい。余命は…」
「年内いっぱい……
11月中は…大丈夫と思います……」
この日はとても、
そのまま入院してる母に会いに行くことが出来ず…
母にはウソをついて、この日の数日後に
「今日みんなで先生の話を聞くから、
その後病室に行くね!」と。
そして、本当は数日前に先生からの話を聞いてた
私も父も妹も…少し落ち着いた状態で母に会いに。
この日…
とてもとても悲しいはずなのに、
みんな最高の笑顔で、
本当に不思議ですが、何度思い出しても
全員の顔や病室の風景がすごく明るくてキラキラしていて。
なんなんやろ…
母の素敵な笑顔と
父と妹と妹の子供たちの笑顔と
病室なのに明るく輝いていて
自宅へもどるか緩和病院へ行くか…
母がどちらを希望してもいいように、
電動ベットを購入して1階の部屋にセットして、在宅看護も来てもらえるよう手配して、
緩和病棟にも入れるよう手配して。
そして
12月初めに半日だけ
家に帰ってくる事もできて、
母は大親友と会って話せることができました。
妹や子供達も遊びに来れたので、
楽しくすごせた日でした。
そして、母の希望で
12月7日緩和病院へ。