こんにちは

このブログがいったん書けなくなった
2014年1月後半…
両親は、なかよく恒例の人間ドッグへ。
母は、本当に健康体で風邪すらひかないし、
病院へ行くといえば、
パートのパン屋さんで火傷したからと
皮膚科へ行くぐらい。
この2014年の人間ドッグまでは、
毎年の人間ドッグや健康診断の
検査や採血は全く異常値がないという…
採血はいつも全項目正常値!
結婚してから162センチ48キロで、
ほぼ体重の変化もなく

健康そのものでした。
そんな中、
母の人間ドッグの結果だけが異常に早くに届いた
行きつけの病院のない母は、
徒歩で行ける近所の個人医へ
胃カメラをして病理結果を待つこと2週間…
結果を聞きに行くと、
病理結果が良く分からないと言われ

再度、胃カメラと言われ2回目の胃カメラ、
その後病理の結果をまた待つこと2週間…
結果、大きな病院へ紹介となり。
すでに1ヶ月過ぎてた…
そして病名は
胃がん
おそらくステージ2
家族の病気…
自分が病気するより数倍つらいと感じました。
そして、最短の手術日は5月初めと言われ、
手術になりました。
手術は無事に成功
が…ステージ3(ステージ4にちかい)
と当初の予想より悪かった。
この当時、母は62歳。
患者としては若いらしく、
再発や転移がないようにと、
術後1年は数ヶ月ごとに
点滴で抗がん剤治療をすることになりました。
たまに抗がん剤点滴をしながらも、
めちゃ元気で体調も良いみたいで、
髪の毛が抜ける副作用がない抗がん剤だったので見た目も綺麗なまま

父も前年に少し早めの定年をしてて、
母もパートは60歳ぐらいで辞めてたので、
両親2人で毎月旅行へ行ってました!
母は、
病気前も年に数回は夫婦で旅行に行ったり、
友人とも年に2回ぐらいは旅行に行ってましたが

がん手術後の母は
旅行に行って、大好きなドラマや映画を毎日み
て

そして妹は、妊娠中だったので、秋には産まれてくる孫を、楽しみにしてました!
そして、たぶん嫌いだった家事からも
少しづつ解放されて…
私が20代で膠原病になってからは、
家事全般ほぼ全て母親がしてくれていて、
ご飯作るのは嫌いと言ってたし…
でも主婦に定年はなく!?
おそらく母自身が病気にならない限りは、
家事を続けないとって感じだったのかな。。。
父もすごく優しいけれど、
母はよく
「お父さんはお仕事で疲れてるから座ってて」
と言って、全てやってあげてる感じでした。
母の病気がわかり、
私も料理や掃除をするようになり、
父は洗濯等をするようになった

洗濯物の干し方を母が教えてたなぁ
私が初病した頃、主治医から
水を使う作業(料理や洗濯等々)は、
やらなくていい環境なら、
やらない方がいいですよ。と言われ、
その話を母も聞いてたので…
実家暮らしの私は甘えたままでした💧
まぁ主治医の言う通り…
料理をやるようになった初めての冬は、
指に潰瘍ができ化膿して、全指あかぎれで、レイノーも凄いことに

このまま指先が腐るのか?とビビった。
まぁ、そんな感じの生活になったので母は
やりたくない事はやらず
やりたい事だけを、
どうどうと出来る日々を過ごせてたのかな。
プラス、私や父や妹から、
これでもかという愛情を感じてくれてたようで

そしてこの頃よく母は
「すごく幸せやわ」
ってポロっと言うことが多かった。
母がこのまま、
家事からも解放されて、
好きなことをして
あと10年.20年と…
こんなのんびりの感じが続いたらいいなぁ
と家族みんなが思ってました。
母がガンになるまでは…
「お母さんは90歳ぐらいまで生きるやろなぁ!」
と家族みんな思ってたから。
再発さえなければ大丈夫!と。