2004年6月、初入院後、
退院して2週間後の初受診後の翌日39.5度の熱により
早朝から病院へ![]()
そのまま再入院へ![]()
前回の入院の時、1か月ぐらいは、のんきに入院生活を送ってたのですが、
1か月を過ぎたぐらいから、カーテン1枚で他人と暮らす生活に、
かなりのストレスを感じるようになっていました。
私は夜が一番つらかったです。夜9時には消灯で、
眠くもないのに真っ暗で
テレビは23時まで
だったので、
それまではテレビをつけてるのですが、その後は、ホント真っ暗で・・・
余計なことばかり考えて・・・
退院後、自宅で夜9時になっても明るい部屋でテレビがついてて・・
それだけでも、かなり幸せに感じたりしてました![]()
なので、退院後2週間での再入院は、
やっと職場復帰ができると思ってた矢先だし、入院はもう嫌って思いも強かった
ので・・・わがままで個室に入れてもらいました。
そんなに裕福じゃないのに、両親には本当に感謝です![]()
そういえば入院中は、電車で1時間ちょっとの距離を母親は、
毎日のように通ってくれていました。ありがたかったです。
そして、2回目の入院。
足の付け根や骨盤あたりが、激しい痛みで、熱も続いていたのですが、
気にしていた血小板は下がってなくて、
ロキソニンを飲みつつ、色んな検査をしていました。
その状態のまま5日が過ぎたころから、熱が下がりました。
ということで、先生からは、
「今回は、血小板も減ってないし、MCTDの再燃ではないので
ステロイドは増やさないです。抗生剤を飲まずに熱も下がったし、
検査でも何の菌もなかったので、菌の感染でもなさそうだし・・・
少し風邪をひきかけてたのかな??」と。
入院して1週間ほどで、熱も下がったので、
4人部屋に移動してステロイドを20ミリから17.5ミリに減量に。
この時、初回の入院時2日だけ同室だった、
女子大生Hちゃんも・・・再入院してました。
とてもがんばりやさんのHちゃん。年は8歳ちかく下なのに、
病歴が長いからか、入院も数10回してるからか、
Hちゃんのほうが、お姉さんのようでした。
この後、私が退院するまでは、毎日のように、
Hちゃんと一緒に過ごしてました。
ホントにガンバリ屋さんで、大学を休んでるので、
その分、自分で勉強したいのに、少し勉強するだけで
疲れて、じんましんがでたり、熱がでてしまう。。。と、
悔しがっていました。
やりたい事を我慢するのは本当につらいです![]()
そして、6月終わり頃に私は無事に退院することに。
この頃の私の一番の悩みは職場復帰に関する事でした。
当初、4月入院で1カ月なら、なんとか休んでも大丈夫だと思い、
なんの疑いもなく5月からは、また職場復帰と思ってたのに・・・
同僚が、私の分まで仕事をしてくれて、
1人少ない状態での勤務がかなりキツイこともわかっていたので、
私が退職して新しい従業員をいれてもらう方がいいのでは・・・
と、思ったり。でも、大好きな仕事で、人間関係もすごく良かったので、
できれば、戻りたかった。
たぶん、この頃、私は自分が病気という事を、全く受け入れてなかったし、
すぐに元の生活に戻れると思ってたし・・・
でも、この2回目の入院で、少し自信がなくなってました。
そして、1日でも早く職場復帰を目指して焦ってた気持ちを、
ふっきりました。
またバリバリ働けるだろうけど、今は療養するべきかも、
そして、毎日のように「はやく職場復帰しないと
」って考えてる事に
疲れてもいました。職場の人たちは、本当にやさしくて、
仕事は本当にキツイはずなのに、何ヶ月でも私の仕事をカバーしながら、
待ってるよ、と言ってくれてました。すごく嬉しかったですが、
そんな同僚の為にも、やっぱり新しい人を入れてもらう方がいいと思い、
6月末に退職することに決めました。
もう、高熱が出るのも入院するのも嫌だから、無理はしない。と。
自宅療養だったので、ステロイドも順調に減っていき、
8月には、12.5ミリに、
そして、8月末に退職した職場にあいさつとロッカーの荷物をしに行きました。
そしたら、週3日ほど半日だけでも手伝いに来てくれないかな。
と、言ってくれ、年末まですこしバイトさせてもらえました![]()
すごく嬉しかったし、ありがたかったのですが、
やはり、私は病気・・・ラッシュの電車で1時間かけての通勤が、
だんだんときつくなってきました。
そんな中、ステロイドは10ミリに減量出来てたのですが、
家の近所で仕事を探してみよう、って気持ちが強くなっていき、
経営者のかたも、ずっと週3日のつもりではなく、
やはりそろそろフルで出勤はむりかな
って言われだしたので、
今度こそ本当の退職に。。。
そして、近所で仕事をみつけました![]()
なのに・・・
そして・・・・・再々入院へ・・・⑤へ