混合性結合組織病になり7年・・

病名がつくまでと、現在までを少し振り返ってみようと思いますニコニコ



病名のつく2年ほど前まで、仕事は大好きな医療事務の仕事で、終わってからは飲みカクテルグラスに行き、

夏は海で、ボディボードサーフィンやバーべキュー

冬はスノーボードスノーボード・・・

と、普通に楽しく過ごしていたある日の夜


「んはてなマークはてなマーク手首痛いショック!なんやろぉはてなマーク」と、突然の痛みで結局朝まで一睡もできず・・


寝てないので、仕事もお休みして近所の整形外科へあし

レントゲンなど撮ってもらい、

先生「骨などに異常はないですね」

あぴ「でも、すごい痛みで寝れなかったんですしょぼん

先生「痛いんやったら、痛み止めだしとくね」


その時に、私は・・・

そっかぁ、我慢しないで、痛み止め飲んだら良かったんやぁひらめき電球と、思ってしまい

それ以降、痛み止めを毎日飲み続ける日々が続きました。。


その後、徐々に肩や挫骨や膝や・・全身にひどい痛みがでてきたのに

痛み止めを飲み続け生活してました。

仕事中に痛み止めを効かせたいので、出勤時は我慢していたら、

50分の通勤時間があまりの痛みに気がつけば2時間近くかけて仕事に行くようになってました汗


診療所で長年勤務していたにもかかわらず、膠原病のことはほぼ知らず、

レイノーで真っ白になった手を、私の勤務先の院長に見せて

「私のこの手、真っ白でなんか変じゃないですかはてなマークなんか指もパンパンなんです」って言ったら

「なんやろなぁはてなマーク冷えてるんちゃうはてなマーク温めときやぁ」

って感じだったので、体の痛みは、肩コリや腱鞘炎やスノーボードでうちどころが悪かったのか・・・


って勝手に思って、全く病気を疑わず、でも痛いのでマッサージや整骨院ばかり探して行ってました。


もちろんマッサージに行っても痛みが良くなるはずもなくショック!


初めての手首の痛みから1年近くたった頃には、

ペットボトルは開けられなくなり、お菓子の袋もあけられず、お箸も持つのがつらかったり、

羽毛の軽い布団でも重く感じ、突然の胸の痛みでタクシー7000円かけて職場から帰宅する日が続いたり。。


なのに、なんで病院に行かなかったのかはてなマーク

最初に行った整形外科で痛み止めだけ処方されて帰されたから・・・

勤務先(胃腸科)の院長に色々痛み等も相談したが、よく分からない感じだったからか・・・

どうせ病院に行っても痛み止めだされるだけやし・・。って思ってしまってたのか・・・


今、思い返しても なんで再度違う病院に行かなかったのか、自分でもよく分からないですが・・。

だんだんと、痛み止めを飲んで、痛みに耐えるのが日常になってきていたようなショック!



そんな私が、なんで病院に行くことになったかというと・・


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