こんにちは!
AP InternationalのToshieです。
秋景色、秋空の中のドライブ![]()
一瞬として同じ瞬間がないことを感じたりして。
さて、私がひとりで生きてゆこう!を実践し始めたのは、10年前、アメリカ中西部のある都市から東海岸の州へ移動した頃からでした。当時、20年近く住み慣れた街を離れ、同時に家を売り、離婚をするという大波乱(でも意気揚々
)を経験しました。不思議ですが本人は大変という感覚ではなく、その全体を、成し遂げる一つの糧にしたような感覚があったことを覚えています。
当時、やりがいのある仕事と結婚をしたみないな勢いがあって、残業も厭わないような生活をしていました。そして、そういう自分を応援する、もう一つのやり遂げると心に誓っていたこと、存在がありました。日本にいる両親の老後を守り抜くというものでした。(16年前に兄を事故で突然亡くしているので、一人っ子となった私の使命となったのです。)
そんな設定の人生のチャプターにいたので、気づくと、『ひとりで生きて行く』が心の中のワードになっていました。
勿論、私には友達もいたし、息子(当時、他州の大学生)もいるのですが、人に頼らず孤高に生きる、私ならできる!というのが、徐々に強くなっていったようで、信念とまでになって、文字通り、しっかり強く生きることが習慣のようになっていました。(その頃の写真を見ると、顔が怖いです
キリッとしていて
)
そして、世界が変わったのです!?
世界がコロナで覆われたのです![]()
一人暮らし、リモートワーク。 。 。
日本への渡航も一時絶たれ、そんな中、父が亡くなりました。心臓疾患でした。私は日本へ戻れなかったのです。(そんな状況にあった方は、少なくなかったのではないでしょうか?)
一番会いたかった人に会えない。父に。 。
そして、施設にいる母に。 。
西海岸にいる息子に。 。
ひとりで生きていく私の限界が訪れました![]()
そして、私は日本へ!リモートワークを許される世の中の恩恵を受け、長期で日本へ行き、そして施設にいた母を自宅に戻し、シアトルにいた息子も日本に来て一緒に介護をし、最後を看取りました。
母は、パーキンソン病を患い、最期は自力で体を動かすことができなく、つまり口を動かすことができないので、言葉を発することもできませんでした。不思議なことに、必要な時は私の名前を呼ぶことができ、しあわせ、ありがとう、という言葉だけは発することができるたんです
愛の力としか言いようがありません。
両親がいなくなった日本を後にするアメリカへの帰国は、今までの旅とは全く違った感覚のものでした。私はどうしてアメリカへ戻るのだろうか?
コロナ禍、これまで体験をしたことがない孤独を多くの方が経験をしたと思いますが、私のこの時の感情、感覚は、もうこれまでの一人で生きて行く信念を完全に打ち消していくことになったのです。
そして私が選んだ選択は、住み慣れた街を離れる!でした。
これまでいた東海岸での不自由さはなく、友人、知人、皆、どうして?って不可思議そうだった。そりゃ、そうですよね、自分でもどうしてか分からないんですから
ただ、私の魂の声を聞いただけなんです。違うところで新しいことが始まるよって![]()
それが今私のいる、ジョージア州、アトランタ郊外のレイク近くの森に囲まれる静かな街です。昨年2023年の3月こちらに引っ越しをして、一年がたった今年は、チャレンジの連続でしたが、新たな場所に新たなものを見つけるためにやってきたのです![]()
引っ越しをした直後、レイキヒーリングを学び始めると、すでにヒーラー活動をしていた、Ryokoさんがお隣にお引っ越しをして来られ、私は勤めていた会社にリストラされ、そのタイミングで私と一緒に二人ヒーラー活動をする会社を立ち上げているという
一方で、アメリカ人スピリチュアル生きる仲間に囲まれ、そう、全てが一新されたんです![]()
この時代を選んで生まれてきた私たちの使命ではないのでしょうか?こうして生きていくことを実践しているのは![]()
全く違った生き方をしてきた二人がこうやって出会い、同じ夢、神聖な目的を持って共に歩んでいけるのは、私たち二人が、孤独も別れも、痛みも、古傷も全部見逃さず、感じ切って、労わって、こんな3次元のお楽しみジェットコースターをしっかり覚悟して体験してきたからこそ、最終の癒しの実践をしてきたからこそ、ここに一緒に立っているのだと思います。
きっと、きっと、私たちみたいな人たちが世の中にたくさんいて、これからみんなが繋がって一緒に生きていく世界の地球になるんですね。みんなで光になって生きていきたいですね
恐怖も不安もない世界へ
Love & Light


