大好きな祖母が亡くなってもうすぐ1年。
コ ロ ナ 禍でお見舞い禁止の病院が多かった中、
祖母の入院先の病院は本当に色々な工夫をして下さって、ある程度の面会は可能でした。
・飲み会などをしていない事
・熱がない事
・ワクチン2回接種している事 などが条件でした。
1日2人まで/15分 というルールを守れば
いつでも会える感じでした。
2月という事もあり、毎回年度末に有給を消化する夫。
なので2月はほとんど実家に居て、毎日のように祖母に会いに行きました。
夫の祖父母は結婚前に亡くなっていたので
私の祖父母を自分の祖父母のように大事にしてくれました。
それは一生感謝しなきゃいけないし、私も夫の実家をもっと大事にしなきゃなって思います。
祖母は入院してからの数週間ずっと絶飲食で
こういう言い方は正しくないのかもしれないけど、点滴だけで生かされている状態でした。
意識も朦朧としている感じで、こちらの呼びかけにはあまり反応しない状態。
担当医からも「いつ何があってもおかしくない」と言われていたので、私は頻繁に「今までありがとう」と声をかけに行きました。
亡くなる前日、珍しく目を少しだけ開けていた祖母。
口を動かして何か喋っているので、「何?」ともう一度聞き直すと、
「今朝 お墓参りに行って掃除とご挨拶してきた…」と言い出して。
今朝お墓参りに行ったって?誰に挨拶したの?変な事言わないでよ…もう無理なのかな。。って思った。
15分経って看護師さんが来たからその話をしたら、「うーん…そっかぁ…」って何かを感じたような表情をしていた。
2月26日
帰らなきゃいけない日。
もうこれが最後かもしれないって思って
帰る前に祖母に会いに行った。
今まで可愛がってくれてありがとうございました。
大事にしてくれてありがとう。
また私のばあちゃんになってね。
また絶対会おうね。 って何度も泣きながら伝えた。
ぼさぼさになってしまった髪の毛をくしで梳かしてあげて、冷たい手を握ってあげていたら、あっという間に15分が経ってしまった。
看護師さんが「そろそろ…」って部屋に入ってきちゃった時に、夫が「今日これから帰るので最後になると思うんです。あと5分だけでも待ってもらえないですか?」と頭を下げてくれて、看護師さんが「わかった。でも一回お部屋を出て10分くらい待ってて」と。
10分後看護師さんが呼びに来て下さって、
「医師の許可でおばあちゃんを別のお部屋に移動させました。だから時間が許す限り一緒に居てあげて」と言ってくれて、土下座する勢いで何度も頭を下げて御礼を伝えました。
たまたま担当医の方が通りかかって、
「ずっと一緒に居たいっていう気持ちは伝わるし、こういう風に思ってもらえる患者さんは本当に幸せだと思う」と言ってくれました。
もう一度病室に戻り、また祖母に泣きながらお礼をたくさん伝えました。
旅行しようって約束してたのに、それが叶わなくなってごめんなさいっていう謝罪もしました。
16時。病院内の面会自体が終了の時間。
「ばあちゃんの孫で幸せだったよ。またいつか会おうね。ありがとう」って声をかけて部屋を出ました。
看護師さんに謝罪とお礼を言って病院をあとにしました。
帰り道は変な天気でした。
晴れていたのに突然の猛吹雪。
「これじゃ前が見えないね…」と話している矢先、父からのLINE。
「病院から危篤の電話がきたので向かいます」と。
電話をして詳しく聞いてみると、私達が帰った直後に心拍数が爆上がりして180を超えている、と。
今すぐ会いに行きたいけど夫は翌日から仕事だし…どうしよう…って迷っていると、
「まだ有給残ってるから。とりあえず病院戻ろ」と。
ホワイトアウトの中、病院に戻って祖母の様子を見に行った。
「ばあちゃん!!」って話しかけると、心拍数が少しずつ下がり、最終的には100くらいに落ち着いた。
ばあちゃんも私と離れたくないんだろうなって思った。
時代的にも苦労ばかりの人生だった祖母。
泣きごと一つ言わないでいつも笑ってて。
誕生日にケーキとお花を買ってあげただけで泣くんですよ。
「こんな年寄りにお金使ってもらって。こんなに贅沢させてもらっていいの?」って。
もっと色んな事してあげたかった。どれだけ恩返ししても返しきれないほど大切にしてもらった。
37年間も孫でいられた。
もっと長生きしてほしかったけどね。
18時前 静かに息をひきとりました。89歳。
病院の方々も、「こんなに愛されている患者さんなかなか居なかったよ。本当に幸せだったと思いますよ。お孫さん達もとても愛されて育ったんですね」って言ってくれて、また涙腺崩壊しました。
夫が上司に連絡して、有給を延ばしてもらって
そのまま実家に戻って葬儀に参加することになりました。
色々キャンセルするのも大変だったけど感謝しかない…。
祖母が生前、「ばあちゃんが死んでからもずっと守ってあげるからね」と言ってくれていたので、
未だに辛い時は「ばあちゃん助けて」と言ってしまうダメな孫ですけど、見守ってくれてると思う。
祖母は私にもお金を残したいと言ってくれてたんですが、それだけは拒否しました。
「誰にも残さなくていい。自分のために使うべき」と。でも…と言うので、じゃあ形見として指輪と私がプレゼントした服を貰う、ってことで生前に色々と貰ってました。
祖母が居なくなってもう1年経つんだなー。
一度、ばあちゃんが守ってくれた!?と感じた出来事がありました。
暴走プリウスが完全に信号無視で交差点内に突っ込んできた時に、バスの運転手さんが煽るような恐怖を感じるクラクションを鳴らしてくれたんです。それを鳴らしてくれていなかったら、間違いなく私と夫は巻き込まれていました。
みんなそのバスのクラクションに驚いて、車を停止させるほどだったんです。
その腐れクソプリウスだけは関係なくそのまま信号無視で暴走してましたけど、他のドライバー達は唖然としてて。
そのバスはどう考えても被害のない所に停まっていたので、あれだけ恐怖を感じるクラクションを鳴らしてくれたのが不思議だな、と。
おかげで命拾いしたのでお礼を言いたかったですけど、暗くてどのバス会社か見えなくて。
こうして1日を無事に過ごせるっていうのは当たり前のことじゃなくて、常に奇跡が重なっているんだと思います。
感謝の心は忘れずに過ごそう。
自分で言うのもあれですけど、祖父母の死は私を成長させたと思います。
お金も贅沢も望まない。みんなが健康で居られることが一番の幸せ。