また、忘れるところだった。また自分で自分の首を絞めるところだった。
いくら自暴自棄になったからって、自分の可能性を狭める必要はないのに、ショックなことや嫌なこと、落ち込むことがあると、一気に視野が狭くなってしまう私。
教員だ!って決めつけなくても良い。教員も一つの道だっていうだけ。
そもそも教員だって、狭き門。きっと、悩むくらいならやるな!ってお怒りの感情を持つ人だって絶対いる。以前の私がそうだったから。
そうだ、そもそも私が悩んでいる理由はそこだもの。
私はどうせ教員になるなら、真剣になりたい人がなるべき。志高い人になってほしい。
それは、教員になるべく教育を受けたからこそ思うことであり、免許を取ったこと自体は無駄じゃないと思っている。
今の私は、自信を持って生徒に接することが、きっとできない。だからためらっている。私は教員をやりたくないわけじゃない。なるべきではないのだ、と。理想の教員像からほど遠い自分が今教育に関わるのではなく、いつか成長してから自分で自分を認められるようになったら、と思ってしまう。
無理に、教員なのかなって思おうとした理由はきっとたくさんある。
両親が教員だからということ、せっかく免許を持っているからということ、求人がもう少ないということ。

いろんなしがらみを取っ払って、恩とか義理とかを全部無くしてしまって、自分の心がどこにあるのかということをちゃんと感じなくちゃいけない。
それは、私らしく生きるということの、第一歩だ。自分を信じるということの、第一歩だ。
そう考えたら、今選択肢を狭めてしまうのは得策じゃないと思えてきた。

今私は、何に対しても自信が持てない。
以前の自分が取り戻せたと思ったけれど、まだ完全じゃないんだな…。時間薬で痛みや苦しみは取り除けたけれど、まだ肝心なところが駄目だ。
「頑張ったね」っていう言葉が欲しかった。頑張っているということをただ認めて欲しかった。
でもそう言ってもらいたい人には、言ってもらえず、認めてももらえず、その事実が自分の考えている以上に苦しかったのだと思う。

人間関係で悩むことは減った。なぜなら、自分以外のことはいくら考えても悩んでも、結局は分からないから。考えないようにしてしまえば、余計な悩みは減る。
過去と他人は変えられない。他人は自分を映す鏡。
友達や恋人に対して自分が負の感情を持っているとするならば、それは相手も自分に対してそう思っているということ。自分ばかりが不満なのではない。相手だって何かしら思うところはある。
一方通行ではいけないのだ。
だからこそ、相手に不満をぶつける前に、自分を見つめ直さなくてはいけない。
こういう考え方になったから、私は、自分のことで悩むことが多くなった。
なんて私は駄目な人間なんだろうって。
ほらね、もう自分を貶している。こうやって貶めている。無駄に自信満々だった頃はどうしてあんなに自信があったのかな。分からないな。
それでも、これが私なのだと受け入れなくちゃいけない。真実はいつだって厳しくて痛いけれど、受け入れないと成長することができない。
自分らしく、というテーマを掲げて頑張らねばならんのだ。

さっきね、ブラマヨの吉田が言ってた。
結果なんてどうでもいい。どれだけ努力したかが大事だって。
本当にその通りだと思う。ちょっと泣いた。
自分をさらけ出して、一所懸命になって、がむしゃらにやって、それがどんな結果になったって、自分自身が満足していればいいのよ。結果はあとからついてくる。
以前、このブログを通じてメッセージをくれた方も同じことを仰ってくれた。その言葉にどれだけ救われたかしれない。
今の自分の状況が苦しくて、忘れそうになっていた。
きっと今の私に必要なメッセージはこれなんだな。

「結果を恐れずに、あるがままをさらけ出す。自分だけの真実に向かって、一所懸命に努力する」