大部屋に移ったので、部屋はいつも誰かがいて、多少は活気があった。1人でポツンといるよりこの方が良いと思った。
体は徐々に動かせるようになり、自分でベッドに座ったり、ゆっくり起き上がって伝い歩きもできるようになった。
この頃、私は仕事を毎日早く切り上げて欠かさず病院に通っていた。毎日、ノートにその日の様子や出来事、ちょっとした変化などを書き留めていた。しかし、そのノートは今行方不明だ。夫は脳梗塞を発症した後、前とは比べ物にならないほど、よく物を無くして探し回ることが増えた。そのノートに限らず、無くしたものは色々ある。もはや存在していたことも記憶されていない。彼はその記憶が間違いであることを決して認めようとしないから、追求もしない。疲れるだけだから。
ずっと言葉は出ていなかった。そう言うことの変遷を記録しておきたかったのだ。ノートなき今、何月何日に何が言えたのか調べることは叶わない。
ただ、大部屋に来た頃から、夫はやたらと
ののののの
と言っていた。これがどうも、否定するための
No no no!
らしいのだ。看護婦さん達に、ご主人は英語が堪能でいらっしゃるのですか?と聞かれた。
いや、出張は確かに多かったけど、堪能というほど英語が話せるわけではない。困ったら私に聞いてきていた。日程に空きが出た時、どこに観光行くのが良いと思うか、私に聞いてくることが多かった。
私は、Noを連発する夫を見て、ひょっとしたら、後天的に学んだ英語が記憶されている脳の部分が無事で、母国語の日本語の格納された部分が障害を負ったのかと考えた。
そこで英語で話しかけてみたり、応答を英語で促したりしてみた…でももちろんダメだった。そんなわけない、か。
何日かして、夕食の手伝いをしていて、何かのゴミを私が拾ってゴミ箱に入れた時のことだ。夫が、確かに
ありがと
と言った。驚いた。すごいね!やったね!今、ありがとう、って言えたよね!って褒めまくった。ダンナは困ったようにニヤニヤしていた。
正直、この一言はプロポーズの言葉より、子どもの初めての「おかーさん」よりもずっと嬉しかった。そのことを、その日確かにノートに書いた。
