救急車は、割とすぐに到着した。夜10時半くらいだったろうか。救急隊員の方は夫の空を睨んで定まらない焦点の目、脂汗の浮いた額、小刻みに震える体を見て、直ぐに、脳外(科)だね、と言った。脳梗塞だと思いますよ、と。
高校生の息子が家にいたので、スマホを持って救急車に乗ってもらって、私は自家用車で着いて行くことにした。救急隊員は走らせながらどの病院に行くか決める、と言っていたので、それを聞いて息子にLINEするように頼んだ。
いつもなんだか頼りなくだらしない息子は驚くほど冷静で淡々としていて、それが逆に私を安心させてくれた。夜遅くて道は混雑していなかった。そのせいか救急車はサイレンを全く鳴らさずに走った。信号で止まることも殆どなく、静かな夜だった。途中山道に差し掛かる頃、息子から彼らしい短いLINEが来た。簡潔に住所と病院名だけが書いてあった。
知っているけれど入ったことのない、しかし自分の居住地では最大規模の総合病院だった。ここなら、と少し安心した。
救急車の入り口と一般車の駐車場が異なるのでマゴマゴして車を停め、息子と合流。ストレッチャーに乗せられた夫が手際よく処置されて行く。看護婦さんが、この方は何か運動されているのですか、脚の筋肉がすごいですね、と言われた。そう、その通り。マラソンでは足りず、ウルトラマラソンや250キロも走っていた人だ。昨日だってハーフマラソンを軽い練習のように軽々と走ってきたばかりだった。
最初、脳血管に血栓が詰まっているので、薬で溶かします、と内科処置をされたが、思うように効果がなかったそうで、外科手術に切り替えます、と同意書にサインを求められた。脳外科の主治医の先生はとても若い印象だったが、図を描いて丁寧に説明してくださった。その感じが良くて、地獄に仏ってこんな感じかしらと思った。
手術を待つ時間はとてつもなく長かった。深夜で日付が変わり、夫の55歳の誕生日になった。よりによって誕生日が入院日だなんて。でもおかげで覚えやすくて助かった。発症日はとても大切なのだ。
待ち時間は長椅子で息子と2人でずっと座り続けていた。夫の母に電話で知らせ、県外の大学に通う娘に電話をし、夫の弟夫婦にも電話をかけた。皆、行こうか、と言ってくれたけれど、来てもらっても何もできないのでお断りして、状況を見て連絡することにした。
事務員に言われるままに入院手続き書類を書き、手術が無事終わったこと、少し取り残したかもしれないが出来る限りのことはしました、とあの若い先生に言われた。麻酔は当分醒めないと言われたので、自分の車で息子を連れて帰宅して眠ることにした。
4時半ごろになり、空は明け始めるところだったけれど、眠気は感じなかった。それでも家で目を閉じたら少しは眠ったようだ。とりあえず自分の職場に1週間ほど休むと伝え、夫の友人経由で夫の会社に連絡してもらった。
とにかく大変なことが起こった。スーッと血の気が引くような、妙に落ち着いて集中するような気分だった。いかなる手続きも、自分が、やるしかない。