われらが歌う時 | apddadcのブログ

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正直なところ、こんなに続けるつもりはなかった。すぐネタ切れになるだろうと思っていたし、そのときはさっさと止めればいDream beauty pro 黑店いと思っていた。しかし、ブログを書いているうちに想い出される本もあり、そんな本を読み返しているうちに新たに読みたい本も増えてきた。ぼくはいま人生で何度目かの濫読期にあるが、一冊読み終えると、読みたい本が二冊加わるといった具合で、「読みたい本リスト」のストックは一向に減らない。おそらく、そのリストを全て読み終えることはないだろう。とりあえず、ネタ切れになるのはもう少し先のことになりそうだ。いましばらく、おつきあいいただければ幸甚。

さて、記念すべき100本目の記事には、やはり、それにふさわしい作家を取り上げたい。
いま、いちばん、その新作が待たれる作家。語学力のないぼくにとって、つまりは未訳の作品の翻訳が待ち遠しい作家。翻訳家たちの仕事の遅さに、自分がきちんと語学を学ばなかったことを心から後悔させられる作家。
リチャード・パワーズである。

昨年の5月、裁判所から事務所に戻る地下鉄の中、ぼくは友人が読んでいる本を覗き込んで、眼が離せなくなった。その作品の全体を読み、もう一度読み返した今、その時に魅了された部分がどこであったかを特定することはできない。印象的な部分があまりにも多すぎるのだ。敢えて挙げてみると、こんな場面であったかもしれない。

われらが歌う時……父に回復の見込みはない。データ収集に没頭している医師たちが辺りにたむろしている。臨床医たちが自分たちの知っている魔法を次から次に試していく。しかし、すでに帰結が決まってしまっている勝敗を変えるなど不可能だ。
父は旅立ち、私には死ぬまで答えを見つけることができない。これだけは確信して予測することができる。私は死ぬまでにありとあらゆる種類の無知を経験していくことになるだろう。
「時間が何か知っているか?」父の声はあまりに柔らかく、私は自分の聞き間違えではないかと一瞬思う。「時間というのは何もかもが同時に発生することを防ぐために人間が使用する道具なんだよ」
ずっと昔、私が声変わりをした年に父から教わった答えを返してやる。「時間が何か知ってる?時間っていうのはね、物事が次から次へと起きていくっていうだけの話なんだよ」