「毎日新聞」5月5日(日)付、朝刊1面と4面「ストーリー」において、
『青ひげ公の城』の取材記事が寺山さんの特集と共に掲載されました。

以下掲載記事の詳細です。












「人生は劇」突きつけ
―寺山修司 没後30年

半円形の舞台で十数人が軽快に踊る。
目を奪うのはウエディングドレス姿で並ぶ6人の女性、いや一人は女装した男だ。
闇の中で一人また一人とマッチを擦る。上がる炎が幻想的な雰囲気を高める。

東京都杉並区の劇場「ザムザ阿佐ヶ谷」でこのほど上演された寺山修司(1935~83年)の戯曲「青ひげ公の城」。

「マッチの場面を繰り返し、際立たせたのは寺山さんへのオマージュ(敬意)です」。
劇団「A・P・B-Tokyo」主宰の浅野伸幸さん(48)は話した。寺山の有名な短歌〈マッチ擦るつかのま海に霧ふかし見捨つるほどの祖国はありや〉にちなむものだ。

「青ひげ公の城」には、青ひげ公なる人物は登場しない。
演じようとする人々が右往左往する舞台裏を描き、演劇の枠組み自体に見直しを迫る前衛作品だ。

この劇団は、寺山が主宰した演劇実験室「天井桟敷」のアングライメージを一新。カラフルな照明や衣装で、思い切り明るい空間を演出した。
初めて寺山作品を見たという大学3年の女性(20)=埼玉県戸田市=は「人生は劇で、結局は自分を演じているのでは、と考えさせられた」と語った。
2000年の結成以来、寺山劇の上演は19回目。この間、観客層も変化した。
「初めは8割が年配のファンでしたが、今では30代以下が大半です」と浅野さん。

「職業は寺山修司」と自ら語ったように、寺山には詩人・歌人・俳人・エッセイスト・小説家・競馬評論家・劇作家・演出家・映画監督等々、多くの顔がある。
安保闘争や大学紛争で日本社会が揺れ動いた60~70年代、前衛の旗手として人々の記憶に残る仕事を重ね、死後も若い読者や観客を得てきた。存命なら77歳。
没後30年の今年は関連本の出版が相次ぎ、劇の公演も30本を超える見込みで、寺山ブームの様相だ。



4面 記事







「寺山の言葉は、感受性の強い10代、20代の心の琴線に触れてくる」
と語るのは、劇団「A・P・B-Tokyo」で寺山作品を演出する高野美由紀さん。
「見世物の復権」を唱えた寺山劇には差別的なせりふや家族への憎悪も頻出するが、
「誰もが心の中にあっても口にできないタブーを表現したから、心に響くのではないでしょうか」と話した。