あ~、昨日は、楽しかった!
昨日はね、人柄写心家tsuguさんの「プロフィール写真撮影会」に行ってきたんです。
どんな感じだったかは
「タロットの話じゃないのか?」って??
いえいえ、タロットの話です。
この【女教皇】の示すメッセージは「自分の絶対的基準に従いなさい」というもの。
誰しも、「自分はこういう人間だ」ってものがあるでしょ。
それって、”あなたらしさ”なんだけど本当に絶対的基準に従ってできた”あなたらしさ”なんだろうか?
だいたい、”絶対的基準”って何?ってことですが、上の【女教皇】のカードを良く見てくださいね。
この女性は女教皇ですから、聖職者なわけです。
膝の上に本を広げていますよね。状況から言ってこれは経典、聖書でしょう。
だから、この聖書が彼女にとっての”絶対的判断基準”。聖書に「右のほほを打たれれば左のほほを差し出しなさい」とあれば、何の疑いも持たずにそうするのです。それをしないと彼女は【女教皇】ではなくなってしまうからです。
あなたには”絶対的基準”ってありますか?
物事を判断する基準。物の価値を決める基準。好き嫌いを決める基準。
たとえば、
「どんな仕事を引き受けるか」の基準。(コピーなら許せるけど、お茶出しは新人の仕事だから嫌!とか)
「食べるか食べないかを決める」基準。(お好み焼きにご飯って、炭水化物同士はなしでしょ!とか)
「付き合うか付き合わないか」を決める基準。
「エッチな話題にはどこまで付き合うか」の基準。
・・・・・こういう人によって違う基準。
そう考えると、この”基準”っていうのは「どこまで許せるか」という”自分のボーダーライン”
それが曖昧になってると、問題が起きた時にスパッと判断できなくて、グズグズ悩んだり、後悔しちゃうわけです。
「その曖昧なところが、私らしさなの」と言う人もいるかな?
なかなか、白か黒、YESかNOに分けられない事もあるよね。
皮肉なことに、そのグレーな部分が多い人ほど、他人からは”良い人”って判断されたりするものね。
なぜなら、”ボーダーライン”が曖昧な人には自分の価値基準を押し付け易いから、色々な意味で楽なんだろうね。
でも、それを悪用されると、困った事態になるでしょ!
一般的に詐欺師というのは、この”ボーダーライン”が曖昧な人のウィークポイントを突くわけです。
だから、社会の中で生きて行くには自分の”絶対的基準”というのは大切です。
でも、それをきちんと表現できてますか?人前で曖昧にしていませんか?
「自分はこうだ!」と胸を張って見せてますか?
何故、そんな事を言うかというと、昨日の私の経験からなのです。
昨日の撮影会で、なかなかリラックスできない私に、カメラマンのtsuguさんが、本当に根気よく心をほぐすように対話しながら写真を撮ってくれました。
私も頑固ですからね~
「リラックスして!肩の力抜いて!」と言われると余計表情が硬くなる(笑)
どこか、素の笑顔は醜いものだと思い込んでいるところがあって、醜い笑顔を人前でさらしたら、他人にどう思われるかしら?と心の底でロックがかかってたんだと思うんです。
ここが大事!
「自信がないことだから、他人にどう思われるかしら?」というのは自分の”絶対的基準”じゃなく世間の基準に自分を合わせようとしているのです。
「自分はこう言う人間だ」とわかっていても、素直に表現できていない事ってありますよね。
それを邪魔するものは、自分の頑固さだったり、臆病な気持ちだったり、弱さだったり、自信のなさだったり・・・色々だけど、自分の力で取っ払うのはなかなか難しいことです。
それをカメラマンのtsuguさんがやってくれた、というのが昨日の私の体験です。
後から考えるとtsuguさんは、まるで人見知りの赤ん坊を根気良くあやして、とうとうケラケラと笑わせてしまったような感じです。