いつも朝歩くときに、とある福音教会の前を通る
そこには1週間ごとにガラス掲示板にメッセージ
が掲示されている。いつもそれを見ているが
今週は「弱さを知る」と書かれている。毎回見る
ごとに黙想している。神様は行くところで分かる
ように必要なメッセージをくださる。我慢を
強いられた期間が長すぎると、正直な自分な心が
見えなくなるときがある。強がりなのか、本心な
のか。
今日のクレイの学びは出エジプト記4章神がモー
セを殺そうとされるシーンである。次男の割礼を
せずアブラハム契約を遵守しなかったゆえである
が、神は80年間もモーセと共にいても、殺そう
とされた。ここに神の厳粛な約束条項とリーダー
としてこれからエジプトの地で戦うモーセに対す
る資格がないことを明らかにされた。このあと
モーセは直ちに息子の割礼を施しているが、家族
はエジプトの地へ連れて行っていない。割礼問題
の原因は妻が割礼に対する嫌悪感とされているが、
信仰生活において、伴侶選びというのはこの世の
価値観ではなく、霊的資質が最優先であるという
ことを今になって重く私は捉えている。この部分
の開きがあると、夫婦関係は破綻しやすい。私も
職場恋愛で相手も信仰者になったものの、やはり
10年間が限界であり、離縁してしまったのである。
1日1章は創世記30章の学びであった。ヤコブの
叔父ラバンはアブラハム契約のゆえに共に祝福
されていたが、貪欲さと腹黒さは無視できない。
どこでも、親族の中に感心できない人が一人は
存在するものである。ヤコブは家畜の条件を掲げ
報酬を求めるが、ラバンは末長くこき使うために
家畜が増えないように小細工をする。この状況も
神は隅々まで知っておられ、神の方法で(摂理の
御手が働いて)ヤコブは家畜の報酬をもらってい
る。この箇所を通しても親族や家族・夫婦の問題
が赤裸々に綴られている。どうしようもない問題
を人間的に解決しようとすると、さらに複雑化し
やすい。そして神がそばにいないような気さえす
る。しかし、実はその只中に神の摂理が働いてい
ることを思わされる箇所である。私も今になって
あのとき、神の摂理の中で離れる覚悟を決めて
家族関係や夫婦関係のいざこざがあったおかげで
聖書を一から学びなおす機会を得て、今日に至っ
ていると思っている。一旦崩壊したような中にも
神の計画は着実に進行していると思っている。
今日も力まず、恵みと信仰によって歩んでいこう。