西洋医学の見地よりも東洋医学の見地を信頼し
て実践しているが、もう医療従事者の言葉さえ
も信頼できない時代に突入している。自分で調
べてこの時代を生き残っていく方法を探している。
恐らく、近い未来に信じられない情報開示が
公開されるのではないかと思っている。その情
報を聞いても、動揺しない自分でありたい。
今は、情報戦争の只中に生かされているようだ。
今日のクレイは出エジプト4章モーセがいよい
よ神の杖とともにエジプトの地へ向かうシーンだ。
彼は姑のイテロに許可をとっている。この箇所で
は、以前自分が家族に対して信仰者であることを
盾に隔たりを見えるように作ってしまった未熟さ
を思い出す。自分の結婚式をめぐって両家が信仰
者ではないため、地上的な宴の案をあれこれ願っ
てきた。自分たちの意図とは違う内容に平和的に
応じられずに、ここから亀裂が入ったことを鮮
明に思い出す。儒教的な国での信仰生活というの
は、時に家族間の亀裂に至る。
モーセのように、神に信頼を置きながら周囲の
人間とも、平和の関係を築くことへの大事さを
改めて痛感している。
1日1章は、創世記27章でイサク一家の家族の
分裂状態に関してのシーンである。今日の箇所
はクレイと密接に繋がっているようだ。アブラ
ハムの息子だから順調に人生を歩んでいるだろ
うと思うがそうではない。家族偏愛の問題によ
り、全員がそれぞれの罪を犯している。神の意
図を無視した行為から、のちに刈り取るシーン
は実に切ない。
同様に、自分も蒔いた種の刈り取りが待ち受け
ている。罪に対しては許されたが、刈り取りは
待ち受けている。神は侮られる方ではないから
だ。
このイサク一家の事例から教訓として学ぶことは
人間的な策略で人生を無駄にしないことである。
問題や罪の裏側でも、神の摂理は着実に進行して
いることを認めて、心を騒がせずに待つことだ。
全ての解答がない時にも、諦めずに祈ることだ。
このことを、今日、私に語られているように感じ
た。父の肉の命が消え失せようとしているこの瞬
間も、霊の命が救われるように祈る使命がある。
実際的に困難な状況下の中ではあるが諦めず彼の
魂が救いへ導かれるように祈りたいと思う。
今日も必要以上に力まず、主の恵みと憐みと信仰
によって歩んでいこう。