朝、衝撃的な連絡を受けた。父が血栓により

救急車で搬送されて入院したとのことである。

ワクチン摂取の副作用であることは明らかだ。

しかし、私は数年前から親とは疎遠である。

複雑な心境の中で、この連絡を受けて返事に

困っていた。今朝の朝歩は風が冷たく顔面が

痛いほどであった。その中で、幼少期からの

父との思い出が走馬灯のように浮かんできて

気がついたら涙が浮かんでいた。風の冷たさ

と冷え切った自分の心がリンクしていた。

 

 

 

神は、家族問題の只中に思いがけず介入する。

このことを通じて、私に何を語られているのか?

連絡をくれたのは姉である。彼女はこの春から

異国の地に旅たつため、万が一の時に帰国でき

なかったことを考えると胸が締め付けられると

心情を綴っていた。今まで姉には伏せていたが

私が、天地万物を創造された神を信じていて

聖書を日々学びながら祈っていることを伝えた

うえで、陰ながら祈りで支えると返答した。

 

 

 

今朝のクレイ4章はモーセの言い訳その3である。

彼が過去の失敗に支配されて自信喪失している姿

に神が、杖のしるし(奇跡)を通じてモーセに

使命を与えられるシーンである。まるで私の姿と

同じで、今朝は泣き通しである。過去の失敗が

尾を引く苦しさをモーセも通過していることが

励ましである。既に霊的な救いを受けている人間

が、深い部分で劣等感の見えない鎖に繋がれて

もがいているのだ。どうしたらいいものか?

神にすがるしか方法はないのか?八方塞がりの中

でこそ、神はあらゆる方法を通じて語りかけて

おられないだろうか?こんな時だからこそ霊の目

を開いて頂きたい。何とも言語化できない聖霊の

うめきが私を動かそうとしているようにも思う。

 

 

 

1日1章の学びは創世記24章である。アブラハムの

息子イサクの嫁探しのシーンである。エリエゼルと

いうアブラハムの僕の忠実な働きぶりに着目したい。

彼は、しもべという立ち位置に誇りを持って最後ま

で忠実に仕えている。誰もができることではない。

その対比が、アブラハムの甥のラバンである。ロト

と同様で、肉的な貪欲さが後に問題となる人物だ。

どのような立場であっても、驕らない。

どのような身分であっても、卑下しない。

どのような状況であっても、神を優先する。

 

 

 

日々気付かされることばかりである。今日も

気負わず、頑張るのではなく、恵みと信仰によって

歩んでいこう。