朝のデボーション2日目、クレイは出エジプト3

章、1日1章は創世記20章であった。前者は神

が聖であるから、信者も聖であることへの戒めで

あった。

後者はアブラハムが日頃から妻サラのことを異教

の地で妹だと偽り、アビメレク事件でアブラハム

契約のゆえにアビメレク側が神の裁きを受けた場

面だ。中川牧師のつぶやきと題する動画でも、暴

走するカナダ政府の同性愛(性の歪み)について

語られていたが、これらの御言葉と神の計画

に関しては全てつながっているように思う。人間

の感情や快楽とはというのは、一過性であり継続

性がない。

人生を長期的に見れば、この垣根を超えたがゆえ

に神が意図する愛の定義から逸脱してしまう。

人間の図る計画性や愛情なんていうものは信用で

きない。

 

 

 

物事の本質に気付かせなくして、堕落の道を歩ま

せる媒体が蔓延している世の中で、どう生きてい

くのか。律法的ではなく、自発的に解放された生

活を営むには「神の意図を知ること」以外に方法

はない。かくいう私も、この文章を書きながら自

分に言い聞かせている。堕落の底を歩んでいたか

らだ。いや、まだ抜けきっていない。しかし心の

奥底から「抜けろ」と叫んでいる気がしている。

肉体なる堕落の感情と霊体なる御心の感情が衝突

しあっている状態である。これを「霊的戦い」と

表現するのだろう。

何とも不気味な感情で過ごしている。この状態を

クリアにするには、神の計画である御言葉に触れ

て聖霊に頼ることだと思っている。

気負わず、頑張らず、祈る。

 

 

 

アブラハム契約は、今も適応されている。アブラハ

ムの子孫であるユダヤ人の救いを覚えて祈ることは

神の計画の中に含まれている。ユダヤ人を祝福する

ものは祝福され、ユダヤ人を呪うものは呪われる。

この奥義を前提に学びを進めていこう。