キューバ音楽界を牽引してきた フルート奏者でもある 

ホセ・ルイス・コルテス José Luis Cortés氏が70歳で亡くなりましたショボーン





話せばすこし長くなりますが…

私は中学のとき村上龍氏の作品に出会い彼のファンになりました。 
それで村上龍氏がある時からキューバ音楽を愛でるようになり
それがきっかけでホセ・ルイス・コルテス氏のバンドであるNG la banda (エネへ ラ バンダ)の日本公演を実現させるのです。

それが96年。

日比谷野外音楽堂のコンサート。 

当時16歳の私は一人で見に行きました。 

私はこの時点でNG la bandaにはまったく興味もありませんでした。彼らがどんな音楽を奏でるのかも知りませんでした。
なぜコンサートに足を運んだか、チケット代は確か6000円だったかな、安くないよね。
しかも多摩地区の私の家から日比谷はとても遠い。
それでも行ったのは 村上龍氏に会えるかもしれないから!という理由です目がハートひらめき

早くついてしまったのでリハーサル音を聞きながら
高校生の私は日比谷での時間の潰し方なんてわかりませんから、
野音の周りをウロウロするしかありませんでした。
ときおり聞こえる声は村上龍氏のものでしょうか?! ドキドキ。

開園するとまず村上龍氏が挨拶しました。
取材に訪れた水商売のお店の子もいるなーなんて笑って言ってました。

私はこの目で憧れの作家を見れて感無量。

コンサートは18時位からだったかな、開始してふと見回すと中央のブースに村上龍氏が!!!キューン指差し
握手してもらえましたキューンキューンキューン

初めて聞くキューバのラテンビート。
観客を一体化させるのがうまいバンドメンバーのパフォーマンス。彼らが何を言ってるかわかりません。しかし楽しめました。体が動きました。
そして彼らの言葉は私が初めて接するスペイン語でした。

この瞬間から私はスペイン語をできるようになりたいとすこしでも言ってることを理解したいと思うようになりました。
しかし十代特有の忙しさの中で、そして就職し、一人暮らしを始め、恋をし、遊び…そんな中で「スペイン語がわかるようになりたい」という夢は少し遠ざかってしまっていました。

そしてついに
私がスペイン語の独学を始めたのは34歳。
離婚した年です。 

離婚して気持ちも独身に戻った私はNG la bandaをとても好きだったことを思い出したのです。 

そしてテレビのスペイン語講座を毎回見るようにし、通勤の行きと帰りにラジオのスペイン語講座を聞く日々が始まりました。

独学なりにスペイン語をある程度理解できるようになると彼らの歌も理解できるようになりました。

チューリップチューリップチューリップチューリップ

私の青春時代からずっと心に響いてる、そしていまも心を揺さぶるのはキューバのサルサです。


メキシコはキューバにちかいから
いつかまたコンサートいけるのではと思ってましたが叶いませんでしたショボーン

ホセ・ルイス・コルテス氏、どうか安らかに。