日曜日。
姉を昼に最寄駅まで送ったあと
ダイソーに寄って帰宅した。
何買うわけでもなく見てるだけで楽しいよね。
日曜は仕事をしててもしてなくても
静かに感じるものだ。
日本についてから初めての日曜は
穏やかだった。
この日まで長く感じていた。

私の毎日は、
朝は6時くらいにおきて朝ごはんをたべ、
犬の散歩をし、手伝えることがあればして、
何もなければ、
母に呼ばれるまで自室で折り紙したり、
うとうとしたりした。
母が買いものいきたいと言えばつれていき、
とにかく私は私のことをしなかった。
この日から父は食事するテーブルまで
(ベッドから数メートル)
行くのが面倒だなと言い出し、
ミニテーブルでベッドに座り食べる事にした。
食事は相変わらず色々食べれた、といっても、
ご飯、汁物、おかず、小鉢など、
それぞれスプーン1杯くらいだけど。
父は結局タバコをやめられなかったので、
食後には一服したが、
少しだけ。
火をつけて、一口すったらそれで満足なのか、
灰皿には長い吸い殻がたくさんあった。
喫煙の度に酸素は止める必要があった。
父はもちろんタバコ吸うから酸素止めろとはいってくれない。
タバコに手を伸ばしたら私達が酸素を切らないといけなかった。
火事になってしまうから。
午後、母と買い物にいこうとしたが、
火事が心配で煙草を隠した。
すると父は煙草隠すな!と怒鳴った。
隠してないよといっても
わかってんだよ馬鹿野郎!隠したろ!と
すごく怒ったので
(わかっていても)悲しくなった。
かといって(私たちが不在の間)酸素消してしまったら息苦しくなってしまうし。。。
結局私が留守番し、母は自転車で買い物にいった。
こんなことがあって、
この頃は父の体調より
火事が心配だった。
普通は酸素吸うようになる人は煙草やめるもんだろう‥
喘息と肺疾患(がん以外)をわずらっていたから
何度か禁煙したけど結局やめれなかった。
医師も仕方なしとしていた。

時々父の怒鳴り声や
トイレ騒動があったけど
日常はそこにあった。
母にYouTubeでみつけた、
男性へのおむつ装着の方法を見せてあげたりしていた。
母は(父が)認知症(になってくれたほうが)楽だったかな‥とつぶやいていた。
そんなことないよと、私は否定した。
母はとても疲れていた。