夜中に母は父の介護で起こされていた。
(父は一階にいて、携帯で二階にいる母を呼ぶ)
トイレ行くのに介助がいるから。
 
トイレまでベッドから、普通の歩幅で
5歩もかからない。
 
父にはこの5歩も今や大変である。
結局間に合わなくて、
おしっこをズボンや床にすこし垂らしてしまい、
その度に父の着替えと床掃除を母はする。
 
トイレの介助のたびに、
あーまた、ほら!ちょっと!!と母。
うるせーんだよ!わかってんだよー、だまれ!今やるだろ!と怒鳴る父…
大騒ぎ。

普段静かな環境に暮らしてる私には
少し辛かった。


チューリップ紫
 
でも時々、
父と母の穏やかな会話が聞こえると
なんとも言えないやすらぎを感じた。
それは子供時代を思い出させた。 
 
私は本当に朝寝坊な子で、
とくに休みの日はいつまでも布団にいた。
それで両親の会話をよく聞いていたものだ。
内容はわからない。
話し声のトーンが心地よかった。
(姉と弟は起きてすでに遊びに行っている事が多かった。私はひとりで家で遊ぶのを好んでた)。
 
チューリップ黄
 
ご飯とか適当に食べるからいいよと言っておいたんだけど、
母は母の習慣で
朝ごはんを作ってくれた。

まだこの時は父は食卓に来れた。
余り食べないけど、
ゆっくりとベッドから食卓まで辿り受けた(ベッドから食卓まで2,3メートル)。
まさか数日後の週末には、
もうこの数歩の距離も歩けなくなるなんて予想もしてなかった。

ご飯は普通の硬さのを食べれた。
食べる量はかなり減ったけど。
特にミニトマトの湯剥きを好んだ。
 
母は、朝からもう洗濯機を4回回してるって。
 
シーツやズボン(スウェット)を毎日数枚
洗わないとだから。
シーツについては、ペットシーツを
父の腰あたりに敷いたらと提案してみた。


洗濯が終わるのを待ちつつ
父の食後のお茶に付き合った。
時々父は、
何もない方向に向かって話したりしてた。
その父の横顔を不安な思いで私は見ていた。
 
あといきなり妙な話をする。
湯呑みの形がどーだとか。
急須の形がいいなとか。

そして祖父母の話もしたり。
俺もとうとう親父の年齢こしたなーとか。
 
疲れたなとか。俺も終わりだなとか
弱気なことも言ったり。。
疲れたという言葉はちょくちょく口にしていた。
だるいのだろう。
 
お茶を飲みおえると
父はまたゆっくりとベッドに戻り、
酸素の管をつけてテレビを見て過ごす。
それで疲れたら少し寝る。
タバコも吸ってたけど、火をつけるだけという感じだった。
 
私は犬の散歩と世話をした。
それをやるだけで母の負担はへる。
 
この子、父が弱くなりはじめから来たのだが、
構ってもらえることが少なく
そのせいか愛情不足でやや情緒不安定(^_^;)
 
かつて私のパグと歩いたコースをたどった。
懐かしいけどよく知ってる道。
散歩してると、あら〇〇ちゃん!と
近所のおばさんが。。
照れ臭かった。
 
帰宅したら洗濯物もって母とホームセンターへ。
 
そこに乾燥機があるから。
乾燥おわるまで1時間くらい。
それまで私はペットコーナーみて、
母は食材をかった。
介護から離れれての束の間の休息だ。
 
帰宅したあと、
タブレットがあったので
そこにNetflix をいれてあげて
父がかつて好きだった映画を見せてあげた。
 
寅さんとか、釣りバカとか。
ベッドに座って見ていた。
まだ女優が誰かとか理解していた。   
 
後ろから見ると父はむくみで、
だるまさんみたいな体型であった。
 
30分も見ると疲れてしまうのか
しばらく寝た。
 

わたしはある言葉を待っていた。
 
それは
「よし、, どっか行くか」
 
という父の言葉。
 
父は散歩と称して
ホームセンターをみにいったり、
狭山丘陵周辺や奥多摩ドライブするのがすきだった。
 
私はきっと、散歩に行こうと
言ってくるはずと思ってた。
行くとこも何となく決めていた。
 
その言葉は結局聞けなかった。
 
トイレに問題が出てきて出掛けるのが
億劫になってしまったからのようだ。
 
貸し出されていた車椅子や携帯酸素ボンベの使い方を私は予習してた。
けれど結局それらの出番はなかった。