この国に移住にしてから3年連続
‥3度目の帰国。
3回ともなぜか5月。

今回はアメリカン航空で。
成田に16:30着。
実家は立川方面で
成田から2,3時間かかる。
もちろんスーツケースは大サイズ。
中身はあまり詰まってなくもかさばって
移動が大変。

いつもなら都内の姉の部屋に泊まって
翌日に実家にいくとこだ。

余裕あればお気に入りのスパで
マッサージうけたいとこ。

でも今回は実家に直行せねば。
乗り継ぎ便だったし、
私の場合に前泊するから
余計旅程が長い。
疲れてる。休みたい。

でも、

5/5に75歳の誕生日を迎えた父がまっている。
1年半前に肺がんが見つかり
闘病していた。

そして、夏までもつかわからないと言われた。

実家についてびっくりした。
介護用の大きいベッドがドーンとあった。
部屋の半分のスペースを占めてた。
そして酸素。

新聞はもうとってないという。

父は起き上がって、
おう!よく来たなと言ってくれた。
それはいつものこと。
それでニコニコして私を眺める。

浮腫み黄疸かすごくて、
腕には大きな赤いあざ(内出血しやすくなってたようだ)もあり、びっくり。
父はそのあとすぐ横になった。

母は介護で疲れ切ってるようで、
なんだか雰囲気が違っていた。

張り詰めてる感じ。

「お風呂湧いてるからあとは好きなようにして」と。

母は 「少し手伝いにきてほしい」と私に言ったことはなかった。 
大変なことになってることも。

姉から来て欲しいと言われてきた。
緩和ケアが3月末から始まり、
父の容態の変化を毎日しらせてきてくれた。

手伝いに行きたいが
母から何も言われてないのに、行ったら迷惑じゃないかと心配でなかなか決意できずにいた。

でも着いてみたら
両親は嬉しそうにしてくれた。

私は思った。

「お父さん、死んじゃうの?」

それは不思議な感覚だった。
ずっといた父がいなくなる?
会えなくなる?声を聞けなくなる?


でもこの日は父が亡くなる9日前だった。

この日から坂を落ちるように
あれよあれよと弱っていく、
それを目のあたりにした。

忘れる前に書いておきたくてここに記録。