私、シゲキ、シャチ、アマチの4人はライブに次ぐライブで目まぐるしく動き回りました。
最初のうちは集客もそこそこありましたが、一年経ってもなかなか動員が伸びなかった。
「演奏がヘタやからか…」
「花がないんちゃうか!?」
「どないしたらええんや…」
壁にぶつかって色々と思い悩むようになった頃、アマチがバンドを辞めたいと言いました。
私生活でも色んな事が重なってメンタル的に辛かったようでした。
普段あまり泣き言など言わなかった奴だけに正直私も少し驚きましたが、これ以上続けるのは不可能と思い脱退を受け入れざるを得なかった。
アマチのラストになった「枚方ブロウダウン」は思わぬ形でワンマンライブとなり、涙と笑顔に包まれて集まってくれたお客さん全員から暖かく送られるように終わりました。
「この先も続けて欲しい」
アマチもそう言ってくれたし我々もそのつもりでした。
アマチが辞めた後、とりあえず先に決まっているライブをどう乗り切るか…
私はまたアツシに力を借りることにしました。
アツシのバンドはまたもやボーカリストが脱退して活動が止まったままだったのでキサンもりーだーもウチをサポートすること自体には快諾してくれました。
アツシのサポートを受けライブのリハや新曲作りをしていくうちに私の中で
「コイツと一緒にやりたい…」
と思うようになったのです。
しかしながら彼には活動休止中とは言え自分のバンドがある。
私が口説けば悩ませるかも知れない…
葛藤しながらライブまでの日々を過ごしました。
そしてアツシを迎えてのライブを無事に終え、打ち上げの席でとうとう私は彼に言いました。
「ウチに入ってくれ。お前の力が必要や!」
私はこの時かなり強引にまくし立てたようで、彼はやはり相当悩んだみたいでした。
数日後に彼から連絡があり
「俺、MEAN STREET RATSに入ることに決めた。ただな…」
キサンとりーだーは自分たちの知らないところでまさかそんな話になっていたとは思っておらず、私らにかなりの不快感を抱いたようでした。
しかも半ば強引に引き抜いた形になったことがシコリを残し、彼らとはその後数年間に渡り仲違いしたままの状態になるのです。
そんな形ではありましたが、アツシを正式に迎えて再始動した我々は以前にも増して精力的に動きました。
2本目のデモテープを作ってバラ撒けば反応も上々でライブの動員も着実に増えていきました。
イベント出演やオムニバスCD参加の話なども舞い込み出して活動は波に乗ったと思っていた矢先に一本の電話が…
相手はボーカリストのシゲキでした。
「ごめん…俺もう…これ以上バンド続けられへん…」
彼もまた私生活で大きなトラブルを抱えていて、その一年ぐらい前からちょくちょく悩みを打ち明けられてたのです。
その度に激励し、キツい生活を強いられながらも何とか息を切らさずにやってきたのですが、とうとう力尽きたように声を振り絞って私に電話してきました。
涙を流しながら無念そうに話す彼に私は言葉が出ませんでした。
「もうええよ。お前はようやった。」
そう言うのが精一杯でした。
シャチとアツシもかなりショックを受けていましたが、止むに止まれぬ事情だけに2人も受け入れる他なかった。
シゲキのラストライブにはたくさんの人が詰め掛けてくれました。
3年間の思いを全て吐き出すように全身全霊で歌うシゲキ、盛り立てる3人の演奏陣。
詰め掛けてくれた人々に見守られながら1996年1月14日、江坂ブーミンホール(現江坂ミューズ)にて
シゲキ、そしてMEAN STREET RATSの事実上ラストライブが終わりました。
アパッチ26歳
バンドを続けることの喜びと難しさ、苦難や障害がこの決裂と離別でまた少し身にしみるのでした。