ついでに続きも少し書いてみますね(笑)
その後もテレビでやってたファイティング80'sでの様々なバンドのライブ映像や寝屋川のジャスコでパ○ってきた横浜銀蝿のカセットテープなどを聴きながら徐々にロックへの階段を上り始めた私は中学生になりました。
80年代前半と言えばヤンキー&校内暴力の全盛期。
我が母校もご多分に洩れず先輩方の多くはパンチパーマ、剃り込み、風が吹けばビラビラ揺れるような太いズボン、なんちゃら族の首輪のように襟の高い学生服…
まさにザ・不良!
金八先生で見てたような光景がそこにありました。
しかしそんなコワ~い先輩方に何故か私は可愛がられ、よく連れられるようになり当然そっちの世界へも少しは興味を抱くのですが、徐々にロックへ足を踏み入れてたのでヤンキーはなんか違うなぁ…と。
そして中学二年のときに友人のN木と言う男がエレキギターを手に入れたと聞き、興味津々で彼の家へ。
まだアンプなど持ってなかった彼は使ってないショボ~いラジカセにギターを繋ぎ
ジャガジャ~ン!
キュイ~~ン
チロリロリロリロ~ギャ~ン♪
「うぉ~っエレキや!!」
多分ちゃんとしたサウンドではなかったはずですが初めて目の当たりにする私には充分過ぎました。
以来私は殆ど毎日遊びに行くようになり彼の演奏を聞いてはいつも羨望の眼差しで見ていました。
(今思えばちゃんと弾けてたのかどうかはわかりませんがね(笑))
「お前もなんかやれや。ベースなんかどや?」
「ベースて何やねんな?」
「弦が4本で低~い音が出るやつや。矢沢永吉がキャロルで弾きながら歌てたやんけ~。」
「あ~ハイハイ、あれな。弾きながら歌えたらカッコええやろなぁ…」
楽器を持つと言う漠然とした夢が私の中で膨らみ始めました。
そしてFM大阪でやってた「THE MODS特集」で完全にやられてしまった私はついに楽器を持つ決意をするのです。
N木とは別によくツルんでた友人たちと4人で「バンドをやろうぜ!」という話になり、私は迷わずベースボーカルを志願。さっそく茨木にあった小さな楽器店で物色するも、当時国産の最低品でも4~5万円はしたはず、中学生には高嶺の花でした。
親に頼んだら「どアホ!」と一喝され、仕方なくお婆ちゃんに頼み込んでお金を借りることに成功、とうとう念願のベース、トーカイのフェンダー・プレジジョンモデルを手に入れたのです!
「矢沢永吉とおんなじパートや…」
私は胸の震えを抑えるのに必死でした。(ちなみに紳介バンドではMr.オクレがベース担当だと後日知ることになり少しショックを受けるのでした)
アパッチ14歳
とっても短いベーシスト生活の始まりです。
あれ?
終わらへん…
なんか続きもんになってきたような気が…
どこまで行くのでしょうか!?