以前からちょくちょく『鳥柄の布マニア』である旨を主張しておりますワタクシですが

鶴に対しては、ちょっと特別な感情を持って蒐集しております。
ちなみに、上は、長襦袢地のハギレです。
着物の下に着るものなのに、前身頃肩から胸の辺りの鶴の頭部と翼に刺繍が施されている、なかなか洒落たものです。
まあ、こんな調子で、見つけるとちょこちょこ買い集めては、日々収納を圧迫しているのですが、蒐集の対象はほぼハギレで、着物や帯は全く持っておりません。
何故かというと、鶴柄の着物や帯のほとんどが、婚礼衣装だからです。
打掛とか、振袖とか、黒留袖とか、重厚な丸帯とか(それ自体も骨董市では見かける機会は少ないですが)。
鶴が婚礼衣装の柄として使われるのは、一夫一婦で、一度カップルになったら生涯パートナーを変えず、片割れが亡くなってもそのパートナーはなかなか亡き骸の傍を離れないほど仲が良いと信じられてきたからです。
どいつもこいつも思いやりある素晴らしい人柄(鳥柄?)とも限るまいに、本当に皆なのか?と多少疑問があったのですが、どうも、最近の研究では、離婚する丹頂鶴のカップルも観察されているようです。
ああ、夢のないこと書いちゃった。
とはいえ、鶴の柄には『生涯添い遂げたい』という身に纏う人の決意、或いは『嫁に行ったらずっと相手と仲良くいて欲しい』という、親の願い(呪い?)が込められていたと思われます。
まあ、他の鳥と比べると、念の強い柄と言えるのではないかと。
かように、布の柄としての鶴は、ワタクシにとっては、自分にないものへの憧憬と畏敬、そして家社会の遺物としての『嫁ぎ先と心中しろ』的怨念への若干の恐怖が交錯するという意味で、魅力的な存在となっています。
基本的には吉祥柄という位置付けなので
松竹梅と組み合わせてよりめでたくみたいなモノも多いのですが
『瀬を早み岩にせかるる滝川の割れても末に逢はむとぞ思ふ』
という崇徳院の一句をなんとなく思い出す、破れ波立涌に二羽の鶴が飛び交う柄とか

安房直子さんの『鶴の家』という物語の終盤、皿が割れて、その中に留まって主人公を見守っていた家族/先祖の魂の象徴たる鶴の群れが空を覆うように飛び立つ(うろ覚えなのでワタクシの誇張が入っている可能性大です)場面を思い出すような小紋柄とか、実は意外とバリエーションもあります。
ワタクシ自身は、こと切れるまで誰かのパートナーでいるということはついぞなく一生を過ごす見込みですが、だからこそ、誰かと結婚(制度的に保証されてなくても双方が決意した同姓カップルなども含め)する人には、双方思いやり合って長く共に暮らして欲しいと思っています。
でも、それは結果論であり、結婚にもれなくついてくる特典でも、一度結婚してしまった人に課せられる重い義務でもないのよね。
どうしても相手と合わなくなることもあるし、そもそも、そういうつもりが全くない、たとえばママの代わりに自分の世話をしてもらうこととか、社会的信用としての既婚というステータスだけを必要として結婚する人とパートナーシップを築くのは困難だし。
そんな相手も、いつかはパートナーシップを理解してくれる日が来るかもしれないけど、そこに到るまでに必要な時間や労力と自分の人生の長さをよく見極めて、別のパートナーとやり直したり、ちょっとずついろんな人を頼りながら一人で生きていくのもひとつの方法だと思います。
なんてったって、鶴だって離婚するんだもの。
※あれ?おかしいな。もっと愛の讃歌的な内容になるはずだったのに、すっかり平常運転だよ。