おまじないコブラはじめました。 -101ページ目

おまじないコブラはじめました。

河内美雪さんの『借金王キャッシュ』好きが昂じてこのようなタイトルをつけましたが、中身は数学オタク中年乙女のボヤキです。悪しからず御了承くださいませm(_ _)m

科学的考証とかできてないため、ウンチクは話半分で読んでください。

具体的に数値化できるようなものではないのですが、ワタクシは人より些細なことでイラッとしやすい質の人間だと思います。

※全く余談ですが、ここしばらく、仕事中ずっと中森明菜さんの『1/2の神話』が脳内リピートしておりまして

『誰も私分かってくれない  ちょっと人より淋しいだけ』

のフレーズに差し掛かる度に

(なにを以て「人より自分が淋しい」と言い切れるんだろ、なんかスゲェよな、ヤンキーイズム…)

と思っていたため、本日はこのような書き出しになっております。



おほほ、余談長かったわね。



ともかくも、ちょっとしたことで

「ナニソレ?厭がらせ⁉」

と憤慨する毎日ですが、殆どの場合、憤慨の種は、恐らく『相手はなんにも考えずに行ったことの産物』で、端的に言えば

『自分が相手に厭がらせをするためにその行動を取ろうと発想しうる』からこそ腹が立つのですよ。

これを、ざっくり関ヶ原より西では『アホ言う奴がアホ』と言います。

嗚呼、なんて切れ味鋭いブーメラン…

などと、鏡に映るオノレの素敵にはほど遠い姿に日々悶絶するが如く、刺さったブーメランで血まみれになりながら

「早く(仮に相手に一定の悪意があったとしても気付かずにいられる善良な)人間になりたい!」

と、妖怪人間ベムの如く叫ぶワタクシ、海月亭浮遊彦であります。



だからといって、善良な人間が最良で最強かというと、ちょっと違うなぁ、とも思っています。

悪意がないのも、度が過ぎればある意味無神経です。

『自分にないものは相手にもない』を貫き過ぎれば、それは押し付けであり、対象の否定となります。

さらに

「悪気はなかったのよー(テヘペロ)」

を繰り返し、事の顛末を全く省みる気がなければ、その気持ちは立派な悪意です。

『自分にあるものは相手にも必ずあるはず』と同じぐらい、きっと厄介なものです。



こうなると、持ってる、持ってないの問題ではなく、自分とは違う価値観があることを想像(または自覚)するかしないか、その想像(または以下略)をいつどう使うかの問題になってきますな。



いつでも、心の持ちようのちょうど良いバランスは難しく

「最適値を探り続けるのが生きるということか」

と呟きながら、今日もブーメランの刺さったあとにキズパワーパッドをそっと貼り付ける次第です。
実際に着物を着る人間しか気にしてないだろうことは自覚しておりますが、アンティークの着物の仕立てを見ると、誂えた人がどう着ようと思っていたのかが伺えて、それがまた、コレクターにとってはなかなかに楽しいところだったりします。

たとえば、この御召の場合

ごく淡い卵色の八掛とか

薄桃色の紅絹の胴裏とか

上前の肩から胸元にかけて、鹿の子で牡丹が織り出されている部分が配置されている感じからすると

『上品なちょっとしたよそいき』

だったのではないかと思われます。


※補足

御召は、先染めの強撚糸で柄を織り出した、いわゆる織の着物(≒カジュアル)ですが、元々が裃の素材出身だからか、縮緬のようなシボと光沢があるからか、柄行によっては上質な色無地ぐらいの感覚で着ても良いよ、みたいなややこしいモノなんですわ。


しかし、白半襟にはんなり帯では、総長の黒マスクが激しく浮いてしまう!(←白マスク買いなさいよ…)

てなわけで

こうなりました。

どうでもいいけど、日が暮れてから自撮りカメラで撮ると、やっぱり画が暗いぜ。

これは、先週着たものです。


牡丹に橘とたぶん鳩の御召(天ふの国)、立涌に縞の一重帯、梅椿柄の錦紗のハギレの半襟、絞りのアンティーク帯揚げ(以上kimonotento)、ツモリチサトのプラネットな帯留め、パステルトリコロールの三部紐(以上和風館ICHI)。

ポップ風味のパステル古典柄でなんとか春っぽさを出そうと足掻いてみました。

本当は
襟元もパステル調を取り入れて帯周りに繋げたかったのですが、いかんせん首から上が浮きまくり(←だから白マスクを買いなさいよ…)で断念しました。

コーデの最大の難関は『オノレも込みでトータルに合わせる』であることを痛感した次第です。

嗚呼、難しいやね。