なんのために。 | おまじないコブラはじめました。

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河内美雪さんの『借金王キャッシュ』好きが昂じてこのようなタイトルをつけましたが、中身は数学オタク中年乙女のボヤキです。悪しからず御了承くださいませm(_ _)m

科学的考証とかできてないため、ウンチクは話半分で読んでください。

友人の子供(年頃)が、先生だかスクールカウンセラーだかに

「自分はなんのために生まれたのか」

というようなことを語っているようです。

これについて、友人は、イロイロ心配しつつも

「話を聞いてくれるやさしい先生の気を引きたくてちょっと盛ってると思う」

と、冷静な分析をしています。


どちらも、思春期の子としては珍しくないことです。

でも、

「言っていることは盛ってても、盛る気持ちは本当なんだよな」

と、子育てに苦労してないワタクシは遠目に見たりします。


気を引くことに対する成功体験だけがその子の中で大きくなりすぎなければ、今、話を聞いてもらっていることは決してマイナスではないけれど、どこかで

「何のために生まれたかより、どう生きたいか、そのために何をするかの方を考えてもいいんじゃない?」

という働きかけをしてくれる人がいてくれるといいのですが。



親がコレをやると、確実に

「うるさい!」

とか言われそうなので、ちょっと離れたところにいる大人で。



ってオレか⁉

と急速に自意識過剰になってしまいます。



しかし、ワタクシ

「何のために生まれたかって、そんなんマボロシやで。すべての生き物はたまたま生まれてたまたま死んでいくもんや」

とか、

「運命とか意味があった方が、そりゃ楽だよな。モノを考えなくていいもん。

何か不都合なことがあったときは運命のせいにすればいいし、どうしても手に入れたいものがあったときは、運命やら意味をこれ見よがしに振りかざせばいいし」

とか、およそ傷つきやすいティーンのハートにフィットしない物言いをしがちなので、ちょっと二の足を踏んでいます。

アア、そんなん言われたら自分でも泣いてまうわ~




みたいなフレーズが口をつきそうになるのは、ワタクシ自身が

「何のためにこの話をこの子にするのか」

をしっかり意識してないためよね。



と、全てまだ妄想の範囲内なのに暴走、後悔、後込みサイクルにはまっています。