NHKスペシャルかな、原爆投下までのいきさつ(軍と官邸の攻防的なヤツ)を見て感じたのは
『人は自分の作ったオモチャでとりあえず遊んでみたいもんなんや』或いは『銃を買ったらとりあえず撃ってみたい的な発想で乱射事件を起こすヤツはどこにでもおるもんや』
または
『ムダなダム計画をやめられん感覚で、自分を正当化するためにしょうもない計画を遂行する迷惑な輩はいつの時代にもおるもんや』
というゲンナリするような現実のために、たくさんの人が死んでいったいたたまれなさでした。
トルーマンは『民間の女性や子供が犠牲になるような原爆投下はいかんですたい』的な日記を残しているようですが、この世に女子供のいない都市も田舎もなく、攻撃すれば必ず犠牲になる民間人はいる、それこそが戦争の無為さの全てだと改めて思いました。
そして、そこに住む人は、好むと好まざるとに関わらず、その土地で支配的な勢力の人質なのだという不条理。
嗚呼、憂鬱だあ!
近頃は、ラマダンのオツトメもまっとうできないような輩がイスラムの国家を名乗り、俺様より人生エンジョイしているヤツを攻撃したり、それをみたヤツが正義を騙ってここぞとばかりに兵力を強化させようとしたり、なんだか不穏なガスが充満しているようで気が気でないワタクシです。
しょうもない男に騙されて泥水すすった女性に「あんたは世間知らずだ」と罵られるぐらいに、徴兵されない年頃(=実は他人事)の軍隊持った方が良いんでない思想のオッサンに「お前は平和ボケだ」と言われることには違和感があります。
どちらも、自分に同意しない人間を否定するために卑下する構造がスケスケすぎて生臭いのです。
泥水を水に非ずという気もないですが、泥水以外は水に非ずという気もさらさらない。戦争がやめられない人類にだって、もうちょっと他の生き方があるんでないの?
そういうメンタルで、タフに生きていきたい、という気持ちを新たにした、ヒロシマ原爆の日でした。
そして、奇しくも今日は『とりあえず停戦しようぜ』的発想で始まったスポーツイベントであるオリンピックの開会式で、移民国家ブラジルが『いろんなヤツがいるけど違いを認めながらお互いやっていこうぜベイベー』的なメッセージを世界に発信した日になりました。
お題目だけでも、これはなかなか意味があるように思えます。
いろいろ言われてたけど、運営している人たちの努力は買いたいな。そして、それが報われるいい大会になってほしい。と夢見る中年乙女は思っています。
てなわけで、年イチの政治的発言終わり!