
先日のHAMA JAZZで購入した、高尾典江さんと夫の中島徹さんのユニット“Sonho”のCD を、通勤の運転中に聴いています。
Sonhoというのは“夢”という意味らしいです。全体的にとても心地よいサウンドです。
オビに「恋する君に聴いてほしい」というクレジットが入っており、まさにそんな感じの一枚です。
血中恋愛濃度高めです!という感じの歌詞がたまらなく魅力的な声に乗せられてワタクシの耳元に届けられますが、女子力全壊の残念な中年には、しばしば遠い異国の言葉のように感じられます。
世の中の歌の大半は恋愛を主題にしていることは知識として知っているつもりですが…
歌われている強い感情が、フツーの人とフツーの人がフツーに出逢った先にあるものなんだよなぁ。
というのが、(自分の中だけですよ!あくまでも)ピンとこないのです。
下世話な世界では、
男を取ったの取らないので、ギャルが集団リンチの果てに人を殺して死体遺棄たり、
ストーカーが「君じゃなきゃダメなんだ~」とかいって、被害女性に付きまとった挙げ句に人を殺して自分も死んだりしてますが、
それらは、対象者への愛というよりは、社会的自己肯定感を損なわせた相手に贖罪させたいとか、肯定感の回復のために自分の要求に従わせたいという感情で、もうその辺まで来ていると、実際は相手の生き生きした姿なんて毛頭見えてないのですよね。
嫌だな~
そんな感情に囚われたくないし、囚われた人と対峙するのもしんどいし…
歌の世界はもっと純粋な感情を表現されてるのですが、下世話な世界でも、言葉尻だけは同じようなフレーズが多用されてるのですよ。
そんな、雑味の多い世界に浸かりすぎて、その境界がよくわからなくなっている自分に気付きます。
そして、実際にその境界は極めて曖昧なものなのだということも、さすがに中年なんで薄々気付いております。
そんなワタクシにも、いつかこの恋の世界が理解できる日が来るのでしょうか。
もっと聴き込んで、血中恋愛濃度の高まりを待つことにします。
いかん!いいアルバムの紹介するはずだったのに、なんでこうなるのだろう…
高尾典江さんには心底お詫び申し上げつつ、書いた労力が惜しいのでこのまま公開します。