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彷徨(徘徊)の記録です。

 支藩長府藩内には晋作先生の強引策に反対する一派が当然根強かったわけで、藩内とはいえ、萩藩斬り込み隊長たる先生を亡き者とするべしという刺客に狙われる身。

 このあたり、中山公暗殺と通じるセンですね。明治天皇の甥を撲殺してしまう、という、お家存続の為ならてか、オモテ面さえ何事も無かったかの様にとか、いかにも長州藩らしい面という捉え方も出来るし、それだけ、幕府から嫌われているから目立たず々々ということも。

 でも、おとなしくしてるだけの先生ではありませんね。遊ぶの好きだし。だけど、相手、本気だから始末悪い。いちおうナンタラかの剣術も皆伝の先生ですけど、呑んでる時まで狙われたんじゃ休まらない。だからって、井戸、隠れるってことはないでしょう。一晩も。

 お女郎の着物被って夜の界隈、逃げ回ったとかそんな面白おかしの伝説、残される。ルパン三世じゃネエんだし。

 新地ってか、伊崎町と呼ばれてますね、とくに、このへん。

 源平盛衰の壇ノ浦の合戦で入水された安徳天皇の亡骸が流れ着いて引揚げられたとの伝説が残されています。恒例の先帝祭上臈参拝はここ、伊崎町公民館前からスタートします。

 ↓の建物は違います。記憶では、その昔、警察署だったような。下関の西部地区管轄だから『西部警察』と堂々、掲げられていたっけ。いまは民間の賃貸物件、らしい。

 さきの厳島神社あたりの感じもつまり新地界隈も随分変わって、

といいたいところですけど、いやいや、そんな。ま、わたし如き新参者がどうこう謂うこともありませんや。

 

 伊崎町っちゃ。ぼくみたようなバカには、海、なんですね。ずっと北部、角島方面が最近はノシてきちゃいるんですが、海峡でなきゃこちら側、下関港です。義経が舟集めたのは長府、満珠干珠方面。平家側に駆り出されたのはこちら伊崎、彦島あたりの漁師じゃなかったっけ。