飯炊きは基本的に母がこなしていたが
重労働なので、人を雇うこともあった。
ある時の飯炊きは元お蕎麦屋のタケムラさん。
いつも清潔な白衣を着て
台所もぴかぴか。
もちろん料理も丁寧で見た目も美しく
味も繊細で美味しかった。
タケムラさんが親子丼の作り方を教えてくれるという。
親子丼専用の鍋まで用意して。
出汁にたまねぎと鶏肉を入れ、
溶き卵を回し入れ、三つ葉を振り蓋をする。
頃合いを見計らって蓋をとり
揺すりながら器にもる。
この揺すりながらが難しい。
何度も「こうやるんだよ~」とお手本を見せてくれる
タケムラさんはとてもイキイキしていた。
ある日の夕飯時に喧嘩が始まった。
「なんでもかんでも醤油をかけやがって!」と
タケムラさんが怒鳴った。
そしてドカさんが怒鳴り返す。
「味もなんにもしないもんが食えるか!」
肉体労働者は味の濃いものを好む。
好むというより必要といった方がいいかもしれない。
そういえば母もわざと濃くしていると言っていた。
鳶は、カンカン照りの日に高いところに登り
フラフラしたら、ポケットに入れている岩塩をとりだして
ぺろっと舐めてその場をしのぐんだそうだ。
タケムラさんは自分の作った料理を味音痴に
ムゲにされるのが嫌だと言って嘆くようになった。
日に日に表情も暗くなっていった。
お蕎麦屋で失敗して、飯場に来てこんな調子で
この先どうしていくつもりだろう?
その日、タケムラさんは一張羅のスーツを着ていた。
さっぱりした顔でわたしに言った。
「おじさん、ここを辞めることにしたよ。
一から出直して蕎麦屋をやろうと思う。
じゃないと偉そうなこと言えないしね。
店ができたら食べに来てね。」