山谷。
全国最大の大阪・あいりん地区に次ぐドヤ街。
通称「やま」
たった一度だけ、
父に連れて行ってもらったことがある。
時は70年代後半だった。
やまには住所不定、無職の人がたんくさんいる。
やまには手配師という人がいて、
働きたい人と雇う人の仲介をする。
やまでは機動隊、政治団体、暴力団、
そしてやまの人たちによる
三つ巴、四つ巴がよく起こる。
機動隊の盾の中でやまの人の投石を避けながら
手配師と契約を交わすこともある。
やまは無法地帯でドラム缶で人が
焼け死んでても事件にならない。
わたしは事前にこのくらいの予備知識を持っていた。
その日、父は人夫だし(日雇い)ではない用事だったから
昼間に乗用車で行った。
やまは山ではなく、一見普通の街だった。
ただ道路はまるで歩行者天国のように車が走っておらず、
人が歩いていたり、寝転んでいたり。
父は車を停めた。
父と顔見知りなのか、人が数人寄って来た。
わたしに「絶対にドアを開けないように」と
注意して、どこかへ出て行った。
昼間なのに、少し怖くなった。
早く、父が帰ってこないかなぁと思っていたら
誰かが窓ガラスをトントンと叩いた。
見ないようにしていたが、何回も叩く。
しかたなく振り返ってみた。
手にみかんと缶コーヒーを持っているおじさんがいた。
微笑んでいる。
父の言いつけもあるし、すごく葛藤したが
ゾンビじゃあるまいし、窓を開けるくらいいいかと
思い少しだけ開けた。
ゾンビじゃあるまいし。
そう、わたしのやまの第一印象はゾンビの街だった。
建物も道路も人も空の色までも
グレーで塗りつぶされたような街。
みかんのだいだい色が
パートカラー映像のように鮮やかだった。