せちがない世の中になったもんだ・・・。
って良くつかいますが、せちがないとふと検索してみると、
その言葉自体ありませんでした。
正式には世知辛い(せちがらい)です。
他にもありました。
(×)うる覚え
(○)うろ覚え
(×)願わくば
(○)願わくは
ずいぶん間違った言葉をつかっているんだなと改めて思いました。
でも誰にこの間違った言葉を教わったのだろうか・・・。
親か?兄弟か?メディアか?新聞か?本か?同僚か?
辿ってみると・・・。
学生の頃に、せちがない世の中になったもんだと学生時代に友人同士で使う言葉ではない。
やはりどうやら社会人になってから覚えたに違いない。
何より一番怖いのは、それを間違っていると知らず、恥ずかしさもなく堂々と使っていることだ。
お客様との接客で、このような間違った言葉をつかっても大概は、指摘されないだろう。
お客様の心の中で、30歳にもなって教養の無い人だと一蹴りされるだけだろう。
でも案外、世の中の大半の人もその間違った言葉をつかっても気づかず、自分も間違った言葉での
認識で何とも感じず、会話が成立することだろう。
言語だけではない、最近驚いたのは働いたことが一回も無いという30歳過ぎの男や女がインターネット
で自らの生活を晒しそれを見ている視聴者からスポンサーとしてお金を振り込んでもらい生活している
人までいるではないか。男は馬鹿をやり、法律やぶり警察沙汰。それに楽しんでいるリスナーからお金
をもらうため馬鹿をやるんです。それもそのサイトでやっている男は皆そういった馬鹿をやるんです。
女性は、肌を露出した服をきて、それを喜んでみている男性視聴者のためにセクシー路線や、かわいい
路線でスポンサーからお金をもらうのです。
何が言いたいかというと、自らのカラーや人格は一切なく、そのサイトないの視聴者の求める人の型に
はまり生活の糧を得ているということです。
求めれば求めるほど働かなくても食べていける世の中になってきています。
言語も文化も無法地帯です。
蛇足しましたが正しい日本語から、自分達が間違った認識で覚えた言葉を使っているほうが楽だから、伝
わり易いからという安易な考えでそれをあたかも正しい日本語として、確立してしまう。
言葉が多様化するのはそういったところからだろうか。
これこそまさしく、世知辛い世の中になったもんだ。そのうち、日本人向けの正しい日本語教室なんて商
売ができるんじゃないか。
しかもその講師が外国の方だったり・・・。
youは何しに日本へという番組があります。そこでも外国の方が、今の日本人では分からない、正しい
日本語、作法を習得していたり、剣術を習い師範代までのぼりつめてる方もいらっしゃいます。
外国の方からみて日本の古きよき伝統に魅力を感じわざわざ外国から足を運び移住する方など
それほど、外国からみて日本の伝統は美しく、かけがえのないものなんだと思います。
前々回でのブログでも話しましたが、少子高齢化で人口が減少し、労働人口確保のためこれから
多人種の方々が日本に住み多国籍化する世の中になった場合、外国の方との差別化、競争社会
になるのです。また、これから世界に日本が生き残っていくためには、「メイドインジャパン」、日本
しかないもの、日本だからできるものが重要ではないか。その根底には、先祖からしっかりと古き
良き伝統を引き継ぎ、脈々と受け継ぐべき器を兼ね備え、農耕民族のコツコツと真面目に誠実
に仕事に携わり、時には勇猛果敢に事に挑み責任、自己の志を曲げない勇気を兼ね備えた、
サムライの血を継承していくべきです。
世知辛い世の中にしているのも全て私たちです。
言語も文化も職業も食も住居も衣類も全て多種多様にしいたずらに増やすから世知辛い
世の中になるのです。言語は共通でも、自分というブランドは他の人にはまねできない。
当社の社長のブログで確か言ってました。
俺はキムタクにはなれないが キムタクも俺になれない 。
あれ、矛盾してない?
俺はキムタクであり、キムタクは俺にはなれない。
ジャイアンか!
では、また。