『文豪ストレイドッグス』を見ていたら、学校で作者と作品名を暗記するだけで終わらずに真面目に文学を読んでおけば良かったと反省。中村敦くんの「山月記」なんかは中学のクラス内で「発狂して虎になりそう」の言葉が流行語になりました(笑)。
大昔に国語で習ったとある小説の中の会話がアラフォーになっても頭から離れないでいます。入浴中や食器洗い中に誰の作品だったかなあとふと思ったり気になりましたが、そのままにしていました。
それは…
「へべれけに酔っ払いてえなあ」
「へべれけになってどうします」
そこで、
よい機会なので覚えている上の文でググってみたところ、青空文庫であっさりと見つけました。
私の頭の中にウン十年もあったのは、
葉山嘉樹
「セメント樽の中の手紙」(短編、1926年)
私が覚えていたのは部分的なもので全文は、
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打
ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。
「へべれけになって暴れられて堪るもんですか、子供たちをどうします」
感想は苦手なので上手く書けませんが、事故でセメントとなった恋人を想い、彼の行方に心憂う女工は愛情深い。労働環境が悪い長時間労働で家族を養う与三のむしゃくしゃ感はわかるし、へべれけに酔いたいと私も思う。が、子供ができるのは男女がいなければ不可能なのに、子を宿す嬶に責任と怒りをぶつけるのは「男尊」が見える。なんともやりきれない気持ちになりますが、はたして与三はこのあと女工に恋人の「居場所」を伝えるのか?こたえはわかりませんが、私的にはへべれけになるまで泥酔するつもりはないし、妊娠した細君にハッとしたような与三だから伝えるかもしれないと思いました。
作者の生涯は激動ですが、驚いたのはこの作品を一日で書き上げたとか。それでも文学として残されるのだから才ある方だったのですね。
最後ですが、アメリカ留学していた頃に英文学クラスでエッセイを書いた、ウィラ.キャザーの「大司教に死来る」(原題"Death comes for the archbishop")
は今でも好きな作品です。ピューリッツァー賞を受賞した作者の物語もさることながら、大司教が目にする壮大なアメリカ南西部の描写は素晴らしい。原文を読める方はそちらをオススメ。
それでは