加配保育士を斡旋しているのは『Die Bundesvereinigung Lebenshilfe e. V.』、障害者とその家族を支援する社団法人。一般的に『Lebenshilfe(レーベンスヒルフェ)』と呼ばれてます。Leben(レーベン)は"人生"、hilfe(ヒルフェ)は”助ける”という意味。
加配の申請手続きに必要な書類は、
- 小児科医師の診断書
- 幼稚園の報告書
- 療育センターの医師の診断書
- 児童心理学者の診断書
加配を認めるのはレーベンスヒルフェではなく、加配の経費を出すお役所の『Jugendamt(児童相談所)』。
ここら辺りで私の中でふつふつとある考えが湧いてました。
ムスメの多動の原因はひょっとして『ADHS(注意欠陥・多動性障害)』だからじゃないのか?
しかしながら療育センターの医師の話では、成長するにつれて行動が落ち着くこともあるので6歳を過ぎても症状が収まりきらないなら可能性があると言われていました。集中力に欠けた多動と認められていても、ADHSのチェックリストに当てはまっていても、その診断は行われませんでした。
ADHSに伴い、もう1つの考えがありました。
ムスメはひょっとして『自閉症』じゃないのか?
自閉症のチェックポイントにもじゅうぶんに当てはまっていました。療育でもそんな話をし始めていました。日本の育児掲示板では2、3歳ですでに自閉スペクトラムである『広汎性発達障害』と診断された子供がとても多いのに驚き、なぜムスメは診断テストがされないのかと苛立ったことは数え切れません。順調に育った同年齢の子供だけではなく、年下の子供とも並ばせるとあきらかにムスメは違う…遅れている。
ムスメは一体『何』なのだろう。
ムスメに何らかの『名』があればどれほど気持ちが落ち着けることができたのか…。
母親がおかしいと思ってもADHSと自閉症の診断がされなかった大きな理由は、ムスメは療育の過程で後退なくごくゆっくりとですが常に発達を見せていたからです。少しでも成長を見せているということでこの時点では『経過観察』だけでした。
さて児童心理心理学者ですが、これもレーベンスヒルフェから児童心理心理学者を紹介してもらいました。3、40分ほどムスメを交えて話をしたあと診断書を受取りました。そのあと小児科医師、幼稚園、療育センターの書類と共にレーベンスヒルフェに申請。
その後、児童心理心理学者からセッションを薦められたので幼稚園、療育センターと忙しかったですがムスメのためとだと思い、猛暑のなか頑張って児童心理学者のもとに通いました。
が、しかし。
児童心理心理学者は全くやる気がありません。トイレでウンチをせずパンツの中でしかできないなどの相談にものらず、部屋の中をうろうろしては本棚の本などを触りまくるムスメを見ながら『もうすぐ喋れるようになる』みたいなことを毎回くだらなく言う。数回行ったあと通うのを止めました。役立たずの学者に当たったそのときの失望感といったら…。
書類提出してから約3月後ぐらいに児童相談所から申請却下の手紙。何でも加配が必要なほどの『重要性・緊急性』がみられないとこと。
すぐに保護者の権利である『Wiederspruch(不服・異議申立て)』をしました。再び書類集め、療育センターや幼稚園との話し合いの大仕事。でも今度はこのままではムスメが精神的・肉体的に深刻な障害がでるという強い調子で書かれた(わざわざ書いてくれた)書類を作ってもらいました。レーヴェンスヒルフェや療育センターによると、こういった場合はたいがい却下されるそうです。
そしてそれからまた3、4ヶ月後ぐらいに児童相談所から手紙。申請が認められました。最初に申請してからすでに半年が過ぎていました。あとで聞いた話によると、ムスメにかかる経費は『児童相談所』か『Sozialamt(社会福祉)』かで役所内でモメてたそうで、結局は社会福祉課が負担することになりました。
そうして夏休みが終わった2015年の9月から加配保育士さんがムスメにつくことに。
それではまた。