籠池理事長の証人喚問!!ウソをついているのか?? | 刑事塾 詐欺、採用面接、営業で騙されない、ウソや人間心理の見抜き方講座

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 先日、世間を賑わしている大阪の学校法人・森友学園の籠池理事長の証人喚問が行われました。皆さんは「籠池理事長はウソを言っているのか??」というのが一番気になる点だと思いますのでその点に焦点を絞って書きたいと思います。

 

 私は参議院と衆議院の証人喚問の様子をYouTubeで見ました。結論から私の個人的な見解を言うと「籠池理事長は全般的に正直に話しているように見える。つまりウソはついていないのではないか。」と思いました。

 

 その根拠について書きます。

 

 それは籠池理事長には全般的にウソのサインが出ていないという点です。

 

 ここで基本的なウソの見抜き方について説明をしておきます。ウソを見抜く場合にはまず質問に対する話し方、しぐさに注目してウソのサインが出ているか?を見ます。質問の内容が相手にとって刺激になるので、ウソをつこうとすると話し方やしぐさに少なからずウソのサインが出るわけです。そしてウソのサインを2つ以上感じた場合にはウソをついている可能性が高いのでその部分は掘り下げて聞いていくというのがウソの見抜き方の手順です。

 

 そこでまず籠池理事長のしぐさのウソのサインについて見てみました。

 

 ウソを上手く答えようとすると緊張します。ですから「汗をかく」「手がふるえる」「顔色が変わる」など自律神経信号が現れます。さらに「顔を触ったり」「腕組みをしたり」「貧乏ゆすりをしたり」「ネクタイを締めなおしたり、眼鏡をかけ直す」などなんとなく落ち着きがなくなり、そわそわして、それがしぐさに出ます。これらが「しぐさのウソのサイン」です。

 

 皆さんも見てわかると思いますが、彼は証人喚問が始まってからも終始堂々としていましたよね。椅子にも深々と座り、質問者の質問に対してそわそわするような場面はありませんでした。どちらかというと顔色ひとつ変えず自信を持って堂々と答えているように見えました。

 

 国会での証人喚問、それも民間人としてあの場に出ることを想像してみてください。日本国中が自分に注目し、リアルタイムでテレビ放映もされています。質問者の国会議員はウソつきであることを前提で質問してきます。見ようによっては公開処刑に近いわけです。まして虚偽の答弁をすれば偽証罪になります。会議室や取調室でウソをつくのと訳が違うわけです。一言でもウソをいえば刑事罰を受けます。そのプレッシャーたるは想像を絶します。

 

 一般の方が町中でパトカーを見たり、警察官を見ると、何も悪いことをしていないのに緊張すると聞きます。つまりこんな場で話をしようと思ったら仮に真実の話をしたとしてもかなりの緊張をするのが普通です。しかし籠池理事長には緊張感というものが感じられませんでした。つまりそれは自信を持って真実を語っているからであると思うのが自然です。

 

次に話し方のウソのサインに注目してみました。

 

 ウソつきは基本的に自分で考えたウソのストーリーがあります。それに対して真実の出来事もあります。当然、ウソをつくと真実の出来事を曲げて話すので両方に矛盾がないように話さないといけません。つまり、正直に自らの記憶で答えるよりも頭を使います。従って通常より考える時間が必要になります。ですから「相手の質問を繰り返したり」「質問の趣旨がわからないふりをしたり」「質問にまともに答えずに誤魔化したり」「逆切れして質問に答えなかったり」・・という時間稼ぎや矛先を変える方法をとらなければなりません。これらは「話し方のウソのサイン」なのです。

 

 籠池理事長に関して言うと全般的にこのような話し方のウソのサインが見られませんでした。質問されると間髪入れずに答えており、帳尻を合わせながら話をしている様子はありませんでした。またわからない点や記憶がない点については「その点は定かではない」「記憶にない」と明確に答え、分かっている事とわからない事を明確に区別していました。更にウソをついている場合には自信がないので「・・・・だと思います。」などと語尾が弱くなることが多いのですが「・・・です。」と断言するような言い方が多々ありました。

 自分の発言に自信がないとこのように明確には答えられないものです。私が見る限り、答え方に不安感というものがなく、真実を淡々と述べているように見えました。


 またその上で気付いた点は発言の内容に不自然さがないという点です。

通常、真実を曲げてウソを言うとどこかに必ず無理が生じます。それは矛盾という形で現れます。「え、なんでそうなるの?」「何故そんな行動をしたの?」「なんでそう考えたの?」

と一般的な社会常識や経験で考えると辻褄が合わないというか、説明ができない矛盾が生じるものなのです。ところが彼の発言は理路整然としており、話の内容に無理がなく、事の経過が自然の流れにあてはまっているように思いました。

 

 それから彼の話は内容に迫真性があり、詳細で具体的であるということも感じました。実はウソをつく人間は細かい点までは話したがりません。それは何故かというと細かい点までウソを言うと後になって自分がどんなウソをついたのかわからなくなるからです。仮にウソをついた部分を忘れると後々話が不自然になったり、矛盾が生じます。つまりウソは覚えておく必要があるのです。ですから肝心な部分だけウソを言って後は適当に誤魔化したり、記憶がないふりをした方が有利です。詳細を語るということは相手に裏を取られる情報を与えることにもなり、しゃべりすぎない方が当然ながらウソはバレないのです。しかし、彼は場面、場面で自ら詳細を語っていました。

 

 その上、彼は発言したことに関しては新たな証拠を幾つかも提示しています。口利きのFAXや100万円を入金した郵便局の振込伝票などです。質問している議員の方が驚くような事実を次から次へと話し、その証拠については積極的に提示している、これらの状況は過去の証人喚問では見られなかった情景ではないでしょうか。

 

 また特に注目したのは「100万円の寄付金の授受について」です。

 

 彼が昭恵夫人からの100万円の寄付金についてどう説明したかというと

 

・昭恵夫人は講演の控え室として利用していた園長室で、私と対面していただいたとき、同行していたお付きの方に席を外すようにおっしゃった後、私と二人きりの状態で『ひとりにさせてすみません。どうぞ、安倍晋三からです』というふうにおっしゃって、寄付金として封筒に入った100万円をくださった

 

・早々に職員室にいた副園長に『いただきました』と渡し、その日は土曜日だったので、中身を確認し、100万円であるということを確認して金庫に入れた

 

・10万円の講演料を先に用意していたので、100万円をいただく前に用意しており、ご講演が終わってお帰りの時にお渡しした。お菓子の袋に10万円が入っている封筒に『感謝』という銘を入れお持ち帰りいただいた

 

・帰った後に夫人から電話があり「寄付金の件は内緒にしとしてくれ」と言われた

 

・当日は土曜日だったので月曜に郵便局に預けにいった

 

・安倍晋三名で振り込んだが会計士からそれはまずいと言われて訂正した

 

・このことは私たちには大変名誉な話なので鮮明に覚えている

 

などと話しています。

 

 もし100万円の授受がなく、架空の話をでっちあげているとしたら「100万円を寄付金としてもらいました」と事実関係だけを言うのが普通です。その他の細かい点まであえて言う必要があるでしょうか。仮に事実がないと話に必ず矛盾が出てきます。領収書にせよ、郵便局の件にせよ、あえて言う必要がないわけです。裏を取られる事実関係は言わずに曖昧にしたり、記憶にないと逃げた方が得策です。特に封筒を差し出した時の昭恵夫人の発言内容お菓子の袋に10万円が入っている封筒に『感謝』という銘を入れて渡したなどと当時の詳細にも触れている点に真実味があり、話の内容に迫真性があります。

 

 ですから私は特にこの「100万円の寄付金の授受」について彼は真実を述べているのではないか、つまり実際に昭恵夫人から寄付はあったのではないかと思ったのです。

 

 その他、工事契約書の件や口利きをした議員の件など話は色々とあったわけですが、特に工事契約書の点については刑事訴追の可能性から証言を拒否しました。つまり、さすがの彼もここでの発言は偽証罪に問われる可能性があるので、言ってよいことと言ってはいけないこと、記憶にあることと記憶にないこと、を取捨選択して質問に答えていたというわけです。

やぶれかぶれでなんでも適当に話していたというわけではないということです。

 

 一方、当の昭恵夫人は彼の国会での証言に対し、寄付金を渡した事実も講演料を貰った事実もないと否定しています。確かに密室の出来事でもあり、領収書も出していないので証拠がないといえばそれまでです。仮に事実があったとしても、総理も含めて一度否定した以上はうやむやにしたいという意思が働くのはやむを得ないでしょう。

 しかし、昭恵夫人は国会の外で話をしています。一方の籠池理事長は偽証罪に問われる証人喚問で話をしているのです。つまり、双方の発言を平等に扱うのはちょっと違うのではないかと思うのです。発言の重さが違います。ですから本当に真実かどうかを明らかにするためには野党議員が指摘しているように昭恵夫人も同じ土俵に上がり、証人喚問で否定すべきでしょう。それでないと憶測ばかりが先行して正しい判断はできないでしょう。

 

 以上、私の個人的な見解について書きました。私は籠池氏の事はよく知りませんし、彼の人間性も思想もよくわかりません。つまり、国会での証人喚問を見て、私の知識、経験値から純粋にこのような見解を出しました。

 「事実は小説より奇なり」 誰がウソを言っているのか、誰が本当のことを言っているのか、神のみぞ知るのかもしれませんね。