コカコーラ考 | 碧い碧いサンパウロの空

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サンパウロの日常


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 料理評論家ニナ・オルタさんのコーラについての記事から。 彼女が始めてコーラに出会ったのは4,5歳の頃。お隣の機長さんのアメリカ土産だったそうで、家中の感想は石鹸みたいな味ね、だったそうです。 1960年代までは、友達の誕生パーティーにはサンドイッチ、ケーキ、甘いお菓子と飲み物はガラナ(ブラジル特産)と決まっていました。それがどのようにコーラに替わっていったのか。わからない。この飲み物には、アメリカ的なもの、豊かさ、幸せのイメージがついていたのは確か。 高齢者や愛国者は見向きもしなかったが、若者には瞬く間に受け入れられた。キューバ・リブレ(ラム酒+コーラ)は青春時代そのものだったそう。 結局、ただの清涼飲料水ではなく、あらゆる分野で理論?を沸騰させてくれるビンであればそれで十分だとし、最後にカエタノ・ベローゾの歌詞を添えています。  ♪♪ ぼくはコーラを飲み、彼女は結婚を考える。歌はぼくをなぐさめ、そして、ぼくは生き続けるよ。それがいけないことかい?♪♪   Youtubeに入り、タイトルalegria、alegriaを聴いてください。 まだ軍事政権下の1967年、皆若い、若い・・・ 思い出した!ウン十年前、リンボー先生が書いていました。「コーラに、未来とか希望とか恋愛とか不安とかそういう若き日の味がした・・・sentimental reason といい、年をとったということだ」と。 私は現役のコカコーラ中毒!?  成長してないってこと?! alegria、Alegria 楽しく、楽しく!!