夕方、犬との散歩帰りに、急に便意がきた。


あ、これはマズいかもって思った時にはもう遅くて、


必死にこらえながら、なんとか家まで帰ろうとした。

 

でも、どうしても無理だった。

 

「助けて…」って思わず夫に電話をかけた。


電話はつながらなかったけど、すぐに折り返してくれて、

「迎えに来て」と伝えた。

 


でも、その間にも、もう限界で。

 

電話をつないだまま、私は道端で…漏らした。


下痢だった。



気持ち悪さ、惨めさ、冷たさ、ぬるぬるした感触。


足元を伝って流れてくるあの感覚。


人が通るたびに顔を背けて、


ワンコがうんちを舐めたりしないか心配で、

もう、心も身体もパニックだった。

 


でも、電話越しの夫は、何も言わず、ずっと聞いていてくれた。


責めることも、呆れることも、笑うこともなく、

ただ「そっか、うん、大丈夫」と言ってくれていた。

 

数分後、夫は車で来てくれた。

着替え、ゴミ袋、タオル、羽織れるもの…すべて持って。

 

車内には便臭と尿臭が充満していたはず。


でも夫は、何も言わなかった。


窓を少し開けて、私を乗せてくれた。


うんちまみれの私を

 


家に戻ってから、すぐにシャワーを浴びて着替えたけれど、


心の中は、まだ恥ずかしさと惨めさでいっぱいだった。

 


でも、じわじわとあとから湧いてきたのは

「見捨てられなかった」という、安心感だった。

 


そして、さらに時間が経つと、別の感情も出てきた。

 


それは「怖さ」。

 

ようやくまた、夫と身体のつながりを持てるようになった今


7年間のセックスレスという深い傷を経て、


やっと手に入れた“触れ合える関係”が、


また遠のいてしまうんじゃないか。

 


「女として、もう見られないんじゃないか」


「汚い姿を見せたことで、また拒絶されるんじゃないか」


そんな不安が、胸の奥からじわっと込み上げてきた。


だって私は、


女として見てほしかった。


抱かれたかった。


大切にされていたかった。


触れられなかった7年間、私はずっと寂しかったから。



ようやく身体を通じて「受け入れられた」と感じられるようになったのに



その希望がまた、遠くに行ってしまうような気がして、怖かった。

 


その揺れは、今もどこかに残ってる。

 


でもね、

この揺れも、今の私にとってはきっと、必要なもの。

 

だってそれだけ私は、


女として愛されたい」「まるごとの私を抱きしめてほしい」と、


深く、心の底から願っているということだから。


 

まだ、「価値が下がらない」とは思いきれない。



でも、「こんな姿になっても、それでも私はここにいるんだ」って、



そう少しずつ感じていくことが、今の私にできることかもしれない。

 


泣いて、汚れて、震えて、絶望して。



それでも私は、夫の愛情に包まれていた。



娘の笑顔にも、救われた。

 


そして、なにより



私が私の気持ちを、ようやく「感じてあげられた」。

 

そうやって少しずつ、

「惨めだった私」を自分の手で迎えに行けた気がしている。

 


「再出発」なんて言葉にはまだならないけど、


“ちゃんとしなきゃ”っていつも気を張っていた私が、


ちょっと緩んだ日だったのかもしれない。


 

こんな自分でも、受け入れてくれる人がいて、

私も自分を許してあげたくなった。

 


まだ不安はあるけれど、

この出来事は、少しだけ、私の中の何かを変えてくれた気がしている。