「体感ってわかる?」


そう聞かれても、正直ピンとこない人、多いと思う。

 



でも、「尿意」「便意」「痛み」「痒み」って言われると、


あ、そういうことかもって、少しわかりやすくなるよね。

 


でも実は、体感ってもっと繊細で、もっと静か。


意識を向けないと、スルーしちゃうような小さな感覚のことも、たくさんある。

 

 

夫婦関係が悪かった頃、私はいつも体で感じてた。

 

胸がギューッと圧迫される感じ。


みぞおちが重くて、ズーンと痛む感じ。


胃が下から突き上げてくるような、不快なうねり。



息が浅くて、呼吸を忘れそうになったり、動悸がして眠れなかったり。



背中も、首も、顔も、常に力が入ってた。

 



つまり、ずっと緊張状態だった。

 


でも逆に、それだけ体がサインを出してくれてたから、私は「体感する」ことに関しては得意だったのかもしれない。




そして実際に、感じきったら、現実も少しずつ変わっていった。




夫婦関係も改善されて、「やっぱり体感をちゃんと感じるって大事なんだ」と、体を通して学んだ。

 

 

でもね。


ここからがちょっとした落とし穴だった。

 


「感じきったら、現実が変わる」って体験があると、



今度は無意識のうちに「もっと感じなきゃ」「もっと変えなきゃ」って、力が入ってしまっていた。

 


体感が薄くなると、「あれ?私、感じられなくなってる?」って焦りが出てきた。



「このままじゃいけない」って、

「もっと成長しなきゃ」「もっと評価されたい」って、


思考で嫌な出来事を引っ張り出してまで、体感を探すようになってた。

 


その頃にはもう、背中も肩も顔も、また緊張状態だった。



なんか、がんばってるんだけど、逆に苦しくなっていく。



負のループに入ってるって、薄々気づきながらも、抜け出せなかった。

 

 

 

そんな時に出会ったのが、ハッピーちゃんポッシブルだった。

 


「細胞をゆるめる」「ただ、いまここを感じる」

音楽を聴きながら、何も考えず、体に意識を向ける時間。

 


「私、緩んでいいんだな」



「力、入ってたなあ」



それに気づくだけで、体がほっとするのがわかった。

 


そこには“よくなろう”とか、“変えなきゃ”っていう力みがない。



ただ、今この瞬間を、感じているだけ。


そして、不思議なことに、その方がスッと楽になる。

 

 

 

感じるって、がんばることじゃない。



気づいたら、すでに感じていた…そんな静かな瞬間を、


これからはもっと大切にしていきたいと思ってるニコニコ