今回は白馬堂号ではなく、夜行バスで。
16日の18時に仕事を終え、20時40分京都発のバスに乗り、
翌朝9時に仙台着、そこからさらにバスで1時間半ほどで石巻へ。
なんとか午前中にボランティアベース・絆に到着。
引越しの準備作業を終えたメンバーがちょうど一服中だったので、
仕事終わりの1杯いかがですかと、荷物を下ろすと早速ドリップ開始。
昼からは大川小・福地体育研修センターに写真洗浄のお手伝いに行くことになったので、
そこでの作業の休憩時間に配れるよう、さらに30人前のアイスコーヒーを用意。
この日はまだ暑かったので、みなさんにも喜んでいただきました。

今回の3日間を通して作業にあたった福地体育研修センターには、
あの日、北上川を逆流する津波にのまれた大川小学校の多くの児童たちの遺品が納められています。





そして、具体的な作業内容は、
泥に埋もれたアルバムの中から写真を1枚ずつ取り出して、
歯ブラシ、刷毛、カッターナイフ、雑巾などを使って汚れを落とし、
形見を探しに来たご家族の方に、少しでも綺麗な状態でお返しできるようにすること。

泥を落とそうとして、強くこすり過ぎると、写真を傷つけてしまう。
濡れ雑巾で強く拭きすぎると、インクが滲んでしまう。
泥が完全に乾くまで待とうにも、付着したバクテリアがインクを分解してしまう。
かなり集中力と根気のいる作業です。
泥を刷毛ではいているうちに、徐々に笑顔が浮かびあがってくる。
それは家族の大切な時間をとじこめた、かけがえのない「タイムカプセル」を掘り起こすこと。
アフターだけ見てしまうと、ただ「傷んだ写真」「汚れた写真」にしか見えないと思いますが、
ビフォアの状態を知っていると、展示された写真の1枚1枚から、みんなの精一杯の努力が伝わってきました。


宿舎に帰っても仕事は続きます。
大量に炊き出しをやっていた頃は、その余りで夕食や、次の日の朝食をまかなえていたのですが、
それが一段落したいま、宿泊のボランティアの夕食や朝食作りを手伝うのも、短期ボランティアのやるべき事。
野菜を切ったり、熱々のサルサソースを味見しようとしてヤケドしたり。
そして、食後にはかき氷やカフェラテなどのお楽しみ。


ず~っと遠くまで 見渡せる丘に登ろう

ということで、2日目の作業を終えて宿舎に戻ると、
すぐ裏手の馬子山(?)に登ってきました。

被災地にいることを忘れさせるような、どこまでも広がるのどかな田園風景。
そして最終日の午前中、ちょっと無理言いまして、
特に被害の大きかった地域の現状を自分たちの目で確認してきました。









5か月以上経過した今なお、崩壊した建物や瓦礫の山が至る所に残っている。
そして日和山へ。

3ヵ月前に見たのと違うのは、目に映る緑の豊かさ。
どんなに荒れ果てた大地でも、植物は逞しく根を生やし、強く生きたいと願っている。
中州に目を向けると、一面の更地と化していた。

それでも自由の女神は倒されず残っていたことに感激。
津波で壊滅的な被害を受けた地域は、まず全てを取り壊してしまうことが必要。
それは、物理的だけでなく、精神的にも、ものすごくエネルギーの要ることだと思います。
阪神大震災のときは、崩壊した建物を取り壊して更地にして、
耐震強度の強い建物を建て直すことで街は復興しましたが、
今回の大震災で、同じことができるのか?
再び津波に襲われる可能性のある地域に、また街をつくることができるのか?
住み慣れた家や街に戻ることの出来なくなった人たちの生活保障や心のケアは?
今回石巻に滞在したたった3日間でも、震度4と震度5弱の余震がありました。
津波注意報も発令されました。地震のダメージは、まだまだ現在進行形です。
倒れた建物の解体は、重機のパワーに頼るしかなさそうです。
ただし、やるべきことはまだまだあります。
写真にへばりついた泥を丁寧に掃うような、人の手や心がないと出来ない繊細なことが。
報道を鵜呑みにするのではなく、ぜひ、現状を自分の目で確かめてください。
何ヶ月後、半年後、1年後に黙祷を捧げたりするだけでなく、もっと確実に力になれることを探してください。
今回、現地での足を提供していただいたヒロベさん、
温かく迎えていただいた絆の仲間たち、
Iさんはじめカンパにご協力いただいたみなさん、
山の計画をキャンセルして、そのために取った休みで東北行きを選び、朝から晩まで働いてくれたなおちゃん、
絆の紹介者であり、出発前から帰宅後までいろいろ心配して相談に乗ってくれたあさやん、
本当にありがとうございました!
もうすこしがんばっぺ。