昨日は会場に行って、また動いてみました。
場所と仲良くなるために。
つまり、歩数とか、間合いとか。
慣れるために何でもいいから動いてみたり。
そして、宙は夕やみがやってきます。
悲しい感情を、
ちゃんと感じることは大切。
誰の中にもそれはある。
若い時は自己憐憫な表現になるまいと
感情やモノガタリに批判的だった。
というか、
批判的であるのが正しい、みたいな
空気があった。
そこが自己解放を目指すところではなく
表現を磨いていく場だったから。
だけど、
メソッド(技法)に寄らないダンスの技法を自ら発見していく場は、
感情こそがリアリティであることも多かった。
それが生々しく現れる稽古場では、
感情を押し付けられたように感じ、
お互い批判的になることもあった。
出てきた「感情」は「アイデア」だと捉えれば、もっと広げられたのだろうな。
アイデアって、
無限に出るものであって欲しいけど
案外そうでもなくて、
むしろ、稚拙な醜い最初の姿を
育ててみる物なのかも知れない。
最初から素晴らしいアイデア、
素晴らしい衝動なんて、
そんなにはないんだなー。
あの頃、そこまで立て直せる力があればなぁ。
だから、
自分の初期衝動を卑下しない。
悲しみから発することが
私のダンスかも知れない、
と、ひとこと言うのに、
こんなに行数を使いましたよw
まだまだ本番まで、問い続けます。
よろしかったら、見にいらしてください。