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過ぎ去った5月31日の「WHOから命を守る国民運動大決起集会」
まるで大会を妨害するような政治的「台風」の動きに当日まで心配しました。
日本の命運をかけた「国民運動」の成功のためには何としても最小限の天候が望まれ、仮に雨が降っても参加しようとする人の意志は固いだろう、などなど考えながら、結果的には雨がやみ、大会中は一滴の雨も降りませんでした。
前日の予想
当日の午後の予想
金曜日は仕事があり、最初から参加できないけれど、できるだけ早めに、4時のパレードデモには間に合いたいと思って、結果的に3時過ぎには現地に着きました。
ちょうど
デモの第一陣が
出発するところ
野外音楽堂での
講演を聞きに向かう。
第一部の登壇者の講演は
こちらで視聴できます。
(戦後置き去りにしてきた問題)
皆さんこんにちわ。よくお集まりくださいました。この問題、国連の暴走、WHOの暴走 、そして、もちろんグローバリズムの暴走、それらと我々は戦っている、皆さん、そういうふうに認識されていますか?
(拍手)(拍手)
しかし、あえて言いますが、グローバリズムとの戦い、WHOや国連の暴走との戦いというのは、この問題、我々日本人にとっては50%の問題、50%はめちゃくちゃ大きいですよ。しかし、残りの50%を忘れてはいけません。その50%とは何なのか?それは
我々日本人が1945年から置き去りにして忘れてきた、おざなりにしてきた、この国の形、日本という国がどうあるべきかという、その日本のアイデンティティそのものの問題なんですよ。
(拍手)(拍手)
(日本だけ承認されたという謎)
皆さん、なんでこの問題がこんなに重大なんですか?どうして日本で、特に問題なんですか?皆さん、ご承知の通り、
「レプリコンワクチン」というワクチンが日本だけで承認されて進められようとしている 。この「レプリコンワクチン」、英語で言うとセルフアンプリファイワクチン、つまり「自己増殖型ワクチン」、聞くからに恐ろしいじゃありませんか?だって自己増殖していっちゃうんですよ、体の中にね。
そしてなおかつ身体から出て、
打ってない人までうつっていくという説がある。そんなものが承認されたのは日本だけだというんですから、これ、おかしいと思いませんか⁉
(拍手)(拍手)
(危険な方の「レプリコンワクチン」)
因みに、この「レプリコンワクチン」「自己増殖型ワクチン」が、
打ってない人にも伝播していくのかどうか、そこは議論になっていますね。そういうことは原理的にありえないという研究者の方もいらっしゃる、ありえるんだという意見もある。これ、どっちなんでしょうね?
先日、村上先生、東京理科大学名誉教授とご一緒した時に、直接聞きました。どういうことなんでしょうか?そうしたら、村上先生おっしゃいました。多くの方が認識していないが、
このレプリコンワクチンには2種類あるんです。 いいですか?もともと、これは伝播していくような危険な性質があるから、アリの巣コロリじゃないけど、例えば、野生の動物、全部は捕まえられない、捕まえたら何頭かに接種して群れに返したら、群れ全体に広まっていくような、そういう性質は極めて危険だから、そういう性質を遮断するために接続しているものと、そうしていないものの2種類があるんです。欧米で使うのは 前者の方、接続してある方です。
日本で使うのは接続されていない危険な方だというんですよ。なんでこんなこと許されるんですか、信じられないですよね。簡単に説明できないですよね。
(サルの代わりに日本人が治験される)
そこで我々はただ単に驚いてショックを受けているんじゃなくて、
なんで日本という国がこんな国になってしまっているのか、
どうして実験台にされているのか?
井上先生仰っていましたよね。普通に実験用のお猿さんを調達をしようと思ったら高すぎて調達できない。普通だったらネズミ、霊長類のお猿さん、そして人間で治験ということになるはずなのに、なぜか、この
レプリコンワクチンはネズミ→日本人、
訳わかんない、しかし、なんでこんなことが起きてしまうのかということを、皆さんただ単に、WHO の暴走、グローバリズムの暴走だけで説明できますか?できないでしょう。
だから、我々は今ここで冷静に振り返って、
我々日本人がこの日本という国が1945年の敗戦以来、どうやって今日まで生きてきたのか、そのことを思い返せないといけないですよ。
(拍手)(拍手)(拍手)(拍手)
(いまだに独立国ではない日本)
今日お集りの皆さん、かなり意識の高い、日頃から勉強されている方々であることは間違いありません。従いまして、皆さん今日この中には 日本が普通の独立国だと思っている人は一人もいないと考え方でよろしいですね。(拍手)(拍手)(拍手)
好むと好まざると、
この日本という国は独立したことは1945年以来一度もないんですよ。
そうだ、そうだ(拍手)(拍手)
おかしいという人がいるでしょう。国会議員でもそんなこと全く信じていない、分かってない人がいっぱいいる。堂々と靖国神社に行って、1952年に4月28日に、この日に我が国は独立を果たしましたと言って写真を撮って、フェイスブックに上げている人がいる。わかっていない。
(講和条約=名目的独立)
1952年に独立したというのは名目的な独立であって、言うならば半分の独立です。後の半分はどうなったんですか。
サンフランシスコ講和条約が署名されたのは1951年ですよ。この時に吉田茂を筆頭とする全権団が行って、サンフランシスコのオペラハウスで4日間詰めて、最終日に晴れて署名をした。握手攻めにされた。
「おめでとう、国際社会の復帰、独立おめでとう」ということになった。
しかし、同じ日に、夕方にもう一つ署名した重要な条約があります。
それが「日米安保条約」。
皆さん「日米安保条約」がこの日本という国をアメリカが守るために結んだ条約だと今でも思っている人 手を挙げてください。
皆さん、一般的に保守派でもなんでも、日本の防衛というものは「日米安保条約」が基軸だと言われているでしょ。じゃあなんでそんなに重要な安保条約がこっそりと、誰も知らないところで署名されたんですか?
日米安保条約がいつ署名されるかということは、いつどこで署名されるということは当日までは分からなかったんですよ。
教えてもらえなかったんですよ。前日のサンフランシスコ講和条約に署名する前日の
夜の11時頃になって
「明日署名するよ」これだけ。
「何時にどこですか?」
「わからない。」
(僕が一人で署名するよ)
そして、当日無事にセレモニーをやって、署名をやって、あの吉田茂が日本語でスピーチして「良かった、良かった」と思って、時計の針が正午を過ぎる。
その頃、次の知らせが入る。
「今日の5時プレシデオの下士官用クラブハウスの一室でサインするから来るように」
そのオペラハウスで華やかにやった同じ日に、今度は軍用施設、そこの下士官向けクラブハウスの一室で、こそ~っとサインするというんですよ。
どういうことですか、それは?
その時に日本の全権団は、その事情を悟って反対しました。
「こういうものには署名できない」
そして吉田茂はもちろんそういう内容は分かってる。来る前から分かっている。仕方ないから、池田隼人だけをお供にして、事実上一人で二人でプレシデオに向かう。そしてその夕方、吉田茂は池田隼人に言いました。
「池田君、この条約は評判が悪いことになるから、僕が一人で署名するよ」
そして、たった一人で署名した。
それが60年の改定を経ながらも、今日まで日本人が安全保障上の基軸として、支えとして大事に守っている「日米安保条約」が最初に署名された姿なんですよ。
おかしいと思いませんか?
何で隠す必要がある⁈
(秘密裏に署名された「日米安保条約」)
それはジョンフォスターダレスが、安保条約の父と言われてる人が明確に述べたように、「この条約の目的は好きなだけの軍隊を、好きな場所に、好きな期間だけ日本に置いておける、すなわち占領中の米軍のすべての特権を日本が独立した後も合法的にずっと継続することこそが目的なんだ」とダレスが言った。それが本当の目的なんですよ。
そんなことしたら皆さん、サンフランシスコ講和条約の目的を完全に相殺してしまいませんか?独立したと言って、独立したら当然国際法上、占領軍は90日以内に撤退しなければいけないんです。ずっといちゃいけないんですよ。だけども、交渉して一部残るとか、そういうものではなくて、マッカーサーがいた、あの占領期間中の、全国規模の展開とその特権をそのままキープするとしたら、それはサンフランシスコ講和条約に違反しているんじゃないかという批判を受けても仕方がない。これはだからイギリスとかソ連とか同盟国からも批判を受けうる。
だからこそ、
秘密に内密に、最後の最後まで黙って日本の全権団にも時間も場所も知らせずに、土壇場まで引っ張って署名させた、それが「日米安保条約」
(占領国に確定された「日米安保条約」)
後に駐日大使だったアリソンは、「もし、この条約が本当に署名されるようなことがあったら、日本全権団のうち、少なくとも1人は帰国後暗殺されるだろう」と言ったんですよ。つまり、この日米安保条約によって、日本という国は名目上独立を果たしたその瞬間から数時間後には、実質的に完全な占領国として確定されたんです。そしてそれは今日まで続いているんですよ。これが日米安保条約の現実ですよ、皆さん。そして、さらに皆さんの中で日米安保条約、旧新読まれた方もいらっしゃると思いますが、条約というものはもちろん国会で批准しなければ承認しなければならない訳ですけども、そこに書かれていることは一般論、 あれを読んでもどこが問題かわかる人はいないでしょう。
(日本側からの要請は事実あった)
日本側から要請を受けて、受けたということは強調されていますね。だって、そうじゃなかったら、日本側から頼まれなかったら、勝手に居座ったら絶対おかしいですから、だから日本側から頼まれたということにしているわけですよ。
実際に吉田茂が、当時のリーダー達は頼んだんです。
「行かないでください。今行かれちゃうと自分たちは危ないから残ってください」と一生懸命頼んだんですよ。
だから、向こうもアメリカの方も朝鮮戦争があるし、せっかく占領したこの日本列島から軍隊を撤退するということは極めて軍事的に非合理的である、だから軍事的には残したいというモチベーションはもちろんあった。だから、日本の恒久占領というものが継続されることになった。でもその時に一方的にアメリカ側が押し入ったのではなくて、日本側から依頼したことは事実なんですよ。で、そのことがもろに条約に書かれているわけです。
(行政協定、国会を通しません)
しかし、問題はここだけではありません。
問題はその下に細目が別途定める
「行政協定で決める」と書いてあるんですよ。行政協定って何ですか?「行政協定」というのも国際条約の一つにはなるんだけども、ところが、条約じゃなくて行政協定だ。なんだ、これは。
これは行政府だけでやります、
立法府を通しません、
国会を通しません。
行政府だけで、つまり、外務大臣同士だとか、それで決めてしまう、そういう協定なんです。
だから国会は分からないんです。
その中で様々な詳細を決めますと書いてある。そして本当にそういう協定が結ばれている。その協定の中でこそ、この日本という国における米軍の特権、全ての権利が詳細に決められているわけですよ。 皆さんそんなこと我々国民に知るすべないでしょ、普通。
(行政協定から「日米地位協定」へ)
さあこれを聞いて皆さん、これは過去の話をしているわけじゃないですよ。その後1960年に、ご存知の通り、岸信介さんの時に日米安保が改定されますよね。その時にその行政協定は中身はそのままに名前を変えました。なんて変えたか、
「日米地位協定」と名前を変えたんですよ。「日米地位協定」 聞いたことのある人? 知ってるんじゃないですか。(笑)(笑)
だから、「日米地位協定」というのは、その日本が独立をサンフランシスコ講和条約を署名すると同時に署名された、日本の恒久占領をうたっている日米安保条約の細目を定めた
日米行政協定の根底が「日米地位協定」です。この日米地位協定の中で、米軍が日本中のどこでもいつでも基地を置き、そしていつでも訓練ができると書いてあるんです。
(返るはずもない「北方領土」)
だから、皆さん こういうものを抱えたまま北方領土の返還が実現すると思いますか?いくらプーチンと仲良くしたって、 秋田犬を送ったって、仮に一緒に温泉に入ったって、
「北方領土を返すよ、でも約束、ここには絶対米軍の基地は置くなよ」
「あ、それはできないですよ~」
「えっ、なんで約束出来ないの?」
「それは日米地位協定に書いてあって、米軍は日本中のどこにでも基地を置けるということになってますから、北方領土が返ってきたら米軍基地が置かれちゃうんですね、だから約束できないんですよ」
それで返ってくるわけないでしょ‼本当に あの時に国家安全保障会議の議長が行って局長が行って、プーチンにそう説明した。だから、プーチンは安倍さんに、
「晋三、安倍君、あなたのところの人が来て、こういうこと言ってるよ。基地を置かないという約束ができないと。どうしようもないね。」
安倍さんが分かってなかったんでしょうか?これほど根本的な問題なんですよ。
秋田犬や柔道で解決する問題じゃないんですよ。そしてそれが今日も継続しているんだから。
(解決されない「沖縄問題」)
沖縄の基地の問題、どんなに 地元の人が、どんなに被害を受けようとも、実際にどんだけの騒音公害等があるいは人命の危機や犯罪があろうとも、それを解決することはできない。なぜならば地位協定によって、米軍はどんな演習でもできるということになっている。自分の国で演習できないことを沖縄ではやれる、日本ではできるんですから。
その根底を直さなかったら、
沖縄基地問題だって北方領土問題だって解決するわけはないんです。
(拍手)(拍手)(拍手)(拍手)
字数がオーバーしますので、第二編で残りの部分を投稿させていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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