「ありがとう」のひとこと | そらぶろ

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果物大好き、お菓子大好きな糖尿病の母。
なんとか食生活を改善しようと手伝い中です。

お正月に実家で眠れなかったのは、母の介護より娘の帰宅待ちをしていたからでした。
普段なら0時半から1時半の帰宅ですが、年末年始は居酒屋は大忙し。
片付けと翌日の仕込みをして帰宅するのが3時。
迎えてご飯出して、少し話して…
あっという間に4時を回る。
父が起きるのが4時半から5時なので、私が寝る時間がなかったんです。

私がいないときは、毎日父は一人で朝ご飯を用意して、一人で食べます。
お正月くらい起きて欲しいけど、母は頑として「嫌だ」の一点張り。
三が日私がお雑煮を用意しましたが、父が「ありがたいな。作ってもらえるのも、一人で食べないでいいのも」と。
当たり前のことに感謝しなきゃいけないくらい、父はくたびれているし、寂しいのだと感じました。

私はといえば、9時過ぎに起きる母、11時近くに起きる娘、午前中で三回お雑煮を作ることに飽きちゃいましたが。

父が望むことはちょっとでも叶えたいな。
そんなふうに思ったんですが、なんか雲行きが…

「出かけるなら鰻買ってきて」
え?元日から鰻?
お節でいいじゃん。
そこへ母が「カレー食べたい。ルー切れてるから買ってきて」「あ、頭痛薬とティッシュも」「果物もいる」

ま、待って。
元日は近くのスーパーは休み。
徒歩で30分くらい先のスーパー行かなきゃいけないじゃん。
行きはともかく、帰りの大荷物はきついのよぉ。

二日には父が「鹿子食べたいな」と。
近所に和菓子屋がないですー。
母はすかさず「私は大福、こしあんじゃなきゃだめよ」「うどんも頼むわ、○○のやつね」。
テクテク歩き回り、やっと買えました。

帰宅すると「掃除機が吸い込まないから直してもらえるか」の父に続き、母が「エアコンが変」。

父が何か言うと追随しないではいられない?

いやもう、バタバタバタバタ。

三日に私はマンションへ帰ったのですが、娘は玄関で「ありがとう。お母さんがいると温かい美味しいもの食べられてほっとした」と。
父は「いい正月だったよ。ゆっくりできた。ありがとうな」と。
母はといえば、「ほな、また来るからね」の私に「ご苦労さんなことだ」と、他人事のようでした。
仕方ないけど、ちょっと寂しかった…かな。

感謝されたいなんて思わない。
でも「ありがとう」って、たとえ気持ちが入ってなくても、絶対忘れちゃいけない言葉だなあと。
その一言だけで笑顔が生まれるから。
母がどうこうでなく、自分が絶対忘れないように。
たとえ私が将来認知症になっても、「ありがとう」の言葉の意味がわからなくなっても、言えるひとになりたい。
そう生きていたいな。