いきなり突拍子もないタイトルだよ・・・
まぁ、良いとして
このブログのテーマでもある「趣味に生きる」について書こうと思う。
このブログを読んでくれいている奇特な人達には「趣味」はあるだろうか?(てか読者はいるのだろうか?)
そもそも「趣味」とは何なのだろうか?
某フリー百貨辞典には、「趣味は、以下の二つの意味を持つ。」
「人間が自由時間(生理的必要時間と労働時間を除いた時間、余暇)に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。」
「物の持つ味わい・おもむき(情趣)を指し、それを観賞しうる能力(美しいものや面白いものについての好みや嗜好)のこと。調度品など品物を選定する場合の美意識や審美眼などに対して「趣味がよい/わるい」などと評価する時の趣味はこちらの意味である。」
とある。
ようは、前者は学校に行ってるんだから、働いてるんだから、たまには遊ばせろってことで、
後者は、夏休みの工作が表彰されるかされないかということだ。
では、趣味に生きるとはなんなのか?
例えば前者のポイントは「生理的必要時間と労働時間を除いた時間、余暇に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為」というところだ。
これは生きるというにはあまりに短い時間をさしている。
人生において、一時の休息すらない事は「世間一般的に見て無い」
前者はその休息をどう使うか、ということを言っているような気がする。
それは趣味に生きるとは言わない。休憩時間に友達と話すか話さないかで決まってしまうことなのだ。
では後者のポイントだが「物の持つ味わい・おもむき(情趣)を指し、それを観賞しうる能力とある。
これはまったくもって論外でポイントにすらならない。
物の価値を評価する能力。この場合は趣味というよりはセンスを見る力のことをさしている。
自分の趣味に他人の価値観は必要ないし、評価される筋合いも無い。(ただし、それが個人の趣味の範囲であれば)
もちろん、自分も他人の趣味を勝手に評価して決めることはできない。
が、これは結局人はそれぞれですよと言っているだけだ。
自分の好きなことをしていればそれは趣味に生きているとは言わないのか?
好きなことは言い換えれば好きなものになる。
つまり、肉が好きはイコールで趣味にはならないような気がする。
つまり何が言いたいかというと、「趣味に生きると」は、
そのときの感情でしたりしなかったりするものではなく、
自分の人生においてはずすことのできないもの、をさしている。
わかりやすく言えば自分が選んだ職業は丸々それに当てはまる。
簡単には切り離すことのできない人生の一部。
その趣味が、成功すれば家族がいるなら養うことができるし、好きなゲームがあるなら買うことができる。
そのとき思うことは、幸せだったり楽しさだったりするのかもしれない。
人間が楽しく生きるためには、趣味が必要だと思う。
趣味がないという人はある意味、生活が充実しているからいえることで、
つまりそれは、やっていることがその人にとって気づかない楽しみになっているのかもしれない。
今までぜんぜん考えたことも無いことかもしれないが、これを機に意識してみると良いかもしれないなぁと漫画を読みながら思いましたとさ。