”<佐土原城> ”一国一城の令”で破壊されるも一部石材が残る「天守台」を見よう!” | 行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

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佐土原(さどわら)城」(宮崎県宮崎市佐土原町)の歴史と城主について記載しておきます。 

建武年間(1334~38年)頃に、「伊東家」の一族「田島休助」が「田島城」を築城、その後「伊東家」が「田島城」に入城します。

 

1537年に「田島城」は焼失したので、1542年頃に「田島城」跡地に「佐土原城」を築城します。しかし、1572年に起こった「木崎原の戦い」で「伊東家」は「島津家」に大敗して「島津家久」が入城します。

 

1587年に、「豊臣秀吉」による九州平定が行われますが、「家久」が急死した後には息子の「豊久」が城主となります。しかしながら、関ヶ原の戦いで「島津家」は西軍方に属したので、一時「幕領」となりました。

 

1603年に「島津以久(ゆきひさ)」が3万石で「佐土原城」へ入り、以降は「島津家」のお城となります。1615年の「一国一城の令」で山上部分の「天守」等は破壊され、更に1625年には、山上の「本丸」にあった「居館」を麓の「二の丸」へ移しています。